茨城県の美しい景色と愉快な話題達
  • 01Aug
    • 『鉾神社』 鉾田市鉾田の画像

      『鉾神社』 鉾田市鉾田

      鉾田市の鉾神社へ参拝に行って参りました。住宅街の狭い所にあり、路地を通って道に迷いながら、やっと鉾神社にたどり着きました。鉾神社の入り口は、この看板のある所で、駐車場は鳥居を潜った先にあり、入り口は車1台やっと通れる位狭い所なので、運転操作を誤ると両脇の岩みたいな所にぶつけますから要注意です。鉾神社の旧社格は村社で、創建は天正四年(1576年)十一月に鉾田城城主・田山東市正により鎮祭されました。その後、鉾田を納めていた鹿島氏と烟田(はただ)氏は、天正十九年二月に常陸太田城主の佐竹氏の謀略により滅亡してしまい、それをきっかけに当社は荒廃してしまいますが、時代が流れ江戸時代に入り、寛文四年(1672年)に再興され、弘化三年(1846年)に改修されています。当社の御祭神は、『大巳貴命』『武甕槌命』『日本武尊』の三柱です。一度車を駐車場に停めた後、もう一度、一の鳥居から入り直します。一の鳥居。此方は、手水舎。まるで造ったばかりの様に綺麗な手水舎です。手水の由来と意味が紙に書かれています。境内。狛犬。相当な人間がポケモン目当てで神社に迷惑をかけたみたいで、吽の狛犬にはポケモン禁止の札が立てられてました。阿の狛犬。二の鳥居。拝殿。拝殿の扁額。本殿。祭神が三柱なんですが、本殿は一つしかありません。境内社。此方は両方とも稲荷神社で、左が伏見稲荷社で、右が豊姫稲荷社です。此方の境内社の名称は解りませんでした。上の境内社の隣には小さな社が建ち並んでます。さざれ石。他の神社のさざれ石と比べるとサイズが小さいです。手水舎の前にある授与所兼社務所で、御朱印を拝受。宮司さんに御朱印を書いて貰い、御朱印帳を受け取りに行くと、御朱印帳の上に何かの箱が置かれていて、何と御朱印の他にチャコチップクッキーも頂きました。御朱印貰ってお菓子もくれる神社も珍しいです。ありがとうございました。此方が鉾神社の御朱印です。コロナが蔓延してるせいか、『疫病退散』の文字が描かれてます。それではかすみがうら市の洋食屋『弥平』の『トンテキ定食』の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。鉾神社〒311-1517茨城県鉾田市鉾田2044

  • 29Jul
    • 今日は肉の日(中国料理 なかむら)の画像

      今日は肉の日(中国料理 なかむら)

      今一番食べたい肉料理は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう最初は書く予定無かったけど、急遽予定変更。一番食べたい肉料理は此方。肉揚げ辛子炒め。土浦市の東崎町にある『中国料理 なかむら』の肉料理で、此処の店だけのオリジナルの料理です。

  • 28Jul
    • 一人でラーメン行ける?(ラーメンこうや)の画像

      一人でラーメン行ける?(ラーメンこうや)

      みんなの回答を見る普通に一人でラーメン屋に入っています。つい最近入ったラーメン屋は、かすみがうら市稲吉にある『ラーメンこうや』この日は『塩チャーシューラーメン』を注文しました。自分が入ったラーメン屋の中では、恐らく一番美味いかもしれない。それでは東京麻布十番の『鳥そば156』の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。ラーメンこうや茨城県かすみがうら市稲吉5-3-18営業日(昼)11:30~14:30 (夜)17:00~20:30定休日 火曜日

  • 23Jul
    • 『あかし庵』 石岡市府中

      日用品と家電品を購入する為に、石岡市東大橋のショッピングモール『ウェルサイト石岡』に向かったのですが、買い物する前に市街地にある『あかし庵』で昼飯に。今回頼んだのは『カツカレー』です。蕎麦屋で作ってるカレーだけあって、そばの出汁が効いていて美味いんですよ。あかし庵行った時によく頼むんです。それでは、ウェルサイト石岡で購入した『関孫六の三徳包丁』と、『テスコムのドライヤー』の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。あかし庵茨城県石岡市府中1-2-16

  • 18Jul
    • 『日本そば  勝連』  土浦市白鳥の画像

      『日本そば 勝連』 土浦市白鳥

      去年辺りかな?土浦市の白鳥地区に新しく蕎麦屋が出来たので、何回か店に立ち寄ってきました。場所は白鳥地区のミニストップの目の前で、『日本そば 勝連(かつれん)』という名前なんですが、民家を改装したような造りの店で土浦に住んでいる人ですら、知らない人が多数いる様です。店の外観はこんな感じです。店の看板。中に入ると年配の店主が挨拶をしてくれて、感じの良い店主さんです。此方が店の品書きで、全体的に値段が安いです。初めて店に行った時は、『カツカレー』を注文。のれんに特製カレーと書かれているだけあって、蕎麦屋独特の美味さのカレーです。2ヶ月位経ってから再訪した時は、『天とじ丼ぶり』を注文。豚カツと、海老・春菊・さつまいも・茄子の天ぷらが卵とじになっている丼ぶりで、中々良い味をしてると思います。

  • 12Jul
    • 『栄稲荷神社』 土浦市桜町の画像

      『栄稲荷神社』 土浦市桜町

      土浦の桜町の路地裏を歩いていると、とある駐車場の横に『栄稲荷神社』が鎮座していました。土浦の街中には、こういう狭い路地裏等に小さな社が立ってる場面を時たま見掛ける事があります。栄稲荷神社は明治9年の創建で、時の名匠・後藤縫之助(1825~1901)により社殿が造られており、当神社は土浦市の指定文化財になっています。そして当神社は、笠間稲荷神社の御分霊を祭っており、祭神は『宇迦之御魂神』です。角度を変えて鳥居を撮影。鳥居と社殿。朱塗りの拝殿。後藤縫之助が造ったとされる社殿の彫刻は、良く見えなかったです。社殿の周りには沢山の幟が立っています。それでは魚長飯店の魚介スープチャーハンと、エビ焼売の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。栄稲荷神社茨城県土浦市桜町2-10

  • 07Jul
    • 『たこ焼き有楽と甘味処茶和と玉川屋』 石岡市国府

      本当は土浦の話をもう少し続けようかと思ったんですが、先日に石岡市へ立ち寄った際に、今まで見た事が無い店があったので、石岡の話を先に更新です。小川(小美玉市)に行った帰りに回り道して石岡の市街地へ買い物へ。まずタイヨーで買い物をする為に駐車場に車を停めて店に向かう途中、駐車場の隣に見慣れない店が出来ていました。タイヨーで買い物を済ませてから、其処に立ち寄ると大判焼きやかき氷にスムージーを販売してるらしく、『甘味処 茶和』という店だそうです。ここら辺では珍しい店だなぁと思い、つい大判焼きを二種類買ってしまいました。今回は『お好み焼き』と『クリーム』の大判焼きを購入しました。お好み焼きの大判焼き。普通の大判焼きとは少し変わっていますが、個人的にはこういう組み合わせも面白いと思います。クリームの大判焼き。こちらは甘さがかなり控えめになってて、甘いのが苦手な人にもいいかもしれません。大判焼きの種類は、他にもオーソドックスなつぶあんや、抹茶とつぶあんも販売されてました。そして此処から少し歩いて、『たこ焼き屋 有楽』と玉川屋へ。玉川屋と有楽。こちらも石岡名物の看板建築になってるのかな。玉川屋の隣にたこ焼き屋の有楽があるのですが、此方は元々は『吉田クツ店』だった所で、其処に店舗を構えてたこ焼き屋を始めたみたいです。有楽があった元々の建物が此方(右)。二階部分に『吉田クツ店』、一階部分には『石岡将棋会館』の看板が立て掛けられています。(この写真はネットで拝借)此方が現在の建物で、たこ焼き屋の有楽になっています。中に入ってみると、数種類のたこ焼きが販売されてるみたいで、今回は『おろしポン酢』を注文。少し柔らかい感じがしたけど、サッパリシテテ美味かったです。此処では『ワインチョコレート』と、『南京ねじ』を購入。ワインチョコは言わずもがなチョコの中にワインが入っている奴で、個人的にすきなんですよ、コレ。『南京ねじ』も豆か何かを固めたお菓子で、これも食べてみると中々美味いんです。また近いうち行ってみたいと思います。石岡に新しく出来た店という事で、数ヵ月前に東光台町に新しく出来た『日乃屋カレー』の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。

  • 04Jul
    • 『土浦の旧祇園町と幸福稲荷神社』 土浦市中央2・川口1の画像

      『土浦の旧祇園町と幸福稲荷神社』 土浦市中央2・川口1

      現在の土浦の中央二丁目と川口一丁目は、かつて『祇園町』と呼ばれた商店街があり、土浦に過ぎた新市街と言われ、土浦で買い物するなら祇園町と言うくらい大繁盛して、土浦の新名所にもなったそうです。川口一丁目の辺りには商店街が建ち並び、『土浦銀座』とも『目抜通り』とも称されたそうです。土浦の郊外に住む古老によれば、『かつての土浦の町と言えば、まるで別世界の様な雰囲気があった』そうです。川口町にある『モール505』1985年だったかな、筑波万博が行われた時に、造られたショッピングモールで、当時は様々な店舗が入っていたみたいですが、現在はシャッターが閉まっている店舗が多いです。左側に見えるのは、土浦駅東口からつくば市方面に抜ける高架道で、こちらも筑波万博の頃に造られました。この写真に写ってるマンションの場所には、かつて『小網屋』と呼ばれるデパートがあり、一階部分にはマクドナルドが入ってて、当時の筆者は良くマクドナルドに入ってハンバーガーを食べてました。元・小網屋だったマンションの近くには『名店街』と呼ばれた商店街があります。経営してる店舗もありますが、こちらもシャッターを下ろしてる店舗が多いです。映画館の『セントラルシネマズ』閉店したのか、修理屋か店の人がゴミ出しや建物に手を入れていました。上記に書いた川口一丁目の土浦銀座とも呼ばれた商店街というのは、上に載せた写真のモール505の西側~小網屋真向かい~セントラルシネマズ前辺りにあったのかもしれません。アーケードのある立派な商店街だったようです。こちらはセントラルシネマズの二軒となりにあった『栄月食堂』以前、キララ祭りを見に行った際に、栄月食堂に何回か入って食事をしましたが、いつの間にか閉店してしまいました。かつて此方にはカメラ屋の他に、和菓子屋や衣料品等を扱うアーケード付の店舗が建ち並んでましたが、徐々に店は移転もしくは閉店し、建物を取り壊して、遊歩道を造り始めました。カメラ屋の店舗も後々取り壊されてしまうと思います。ナカタカメラ屋の前から撮影した土浦駅方面。亀城公園方面。因みに昭和の始め頃までは、川口川と呼ばれる川が流れていて、土浦港より流れる川がモール505のある辺りから道路の125線の場所を川口川が亀城公園方面へ流れてましたが、その上を蓋をするような形で商店街や道路を作ってしまいました。上の写真からは少し先ですが、保立食堂の前には水戸街道を渡る為に造られた桜橋の碑が建てられていて、今も道路の中に埋められています。話を元に戻しますが、ナカタカメラ屋の裏手の辺りにだったかな?以前、『幸福稲荷神社』が建てられてましたが、店舗を壊して遊歩道を造る際に、川口一丁目の路地に移転してしまいました。上がナカタカメラで、幸福稲荷神社はここの無くなった建物の裏手にあったんですよ。川口一丁目の方に戻り、セントラルシネマズの少し先にある路地を東崎町方面へ進むと、そこに見事な造りの『幸福稲荷神社』が鎮座していました。市街地の方を向くと、土浦市役所横のソリッドタワー・ベルズ イン ホテル・元小網屋跡地のマンションを見る事が出来ます。幸福稲荷神社は旧・祇園町の守り神で、京都の伏見稲荷大社からの分神であり、『幸福稲荷神社』の名前も、伏見稲荷大社から賜った名称だそうです。鳥居と扁額。いかつい顔をしていますが、素晴らしい姿の見事な狛狐です。社殿。幸福稲荷神社の移設と由来の説明文。(細かい内容は此方で確認してください。移設前の幸福稲荷神社は余り手入れされてなかったのか、境内の様子が余り綺麗じゃありませんでした。綺麗な社殿に移設して貰って、かえって良かったのかもしれません。それでは桜町にある喫茶店ポロンのカツカレーセットの写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。

  • 27Jun
    • 『つくば日枝神社と泉食堂』 つくば市田中・北条の画像

      『つくば日枝神社と泉食堂』 つくば市田中・北条

      筑波山神社へ行った帰りに、泉食堂で少し遅めの昼飯。店内に入り席に付きます。しかも金魚が泳いでる水槽の真後ろの席です。泉食堂の品書き。品書きの中で余り聞かない『餃子カツ定食』を注文。とんかつには肉だけでなく、餃子の餡も入ってて、普通のとんかつとはまた違う食感と味で、美味かったです。泉食堂で昼飯を食べた後は、同じつくば市にある『日枝神社』へ。つくばの日枝神社は、滋賀県の日吉神社の御分霊を祀り、創建は貞観2年(860年)と伝えられており、承久3年(1221年)に小田友重により再建されましたが、興国元年1340年には戦乱により社殿が炎上しましたが、後に小田孝朝により再造営されています。日枝神社の鳥居。狛犬。筋肉隆々で、気骨がありそうな風貌の狛犬です。日枝神社由緒。拝殿。回りがガラス張りになっています。拝殿にある日枝神社の扁額。本殿。本殿の横には、見事な龍の彫り物があります。忠魂碑。石碑と立像。宮司さん宅に連絡すると、御朱印頂けるらしいですが、今回は頂けませんでした。それでは筑波鉄道の旧駅舎であり、現在は『関東鉄道つくば北営業所』になっている『筑波駅舎』の写真と、営業所前のバスターミナル『筑波山口』の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。泉食堂〒300-4231茨城県つくば市北条5111営業時間 11:00~20:00日枝神社(つくば市)〒300-4244茨城県つくば市田中1850

  • 25Jun
    • 『筑波山神社』 つくば市筑波の画像

      『筑波山神社』 つくば市筑波

      土浦市のベルズイン土浦ホテルを出て一旦帰宅し、その日は父の日という事で、父を連れて約二年ぶりに筑波山へ。土産物屋の駐車場に車を停めて筑波山神社へ直行。筑波山神社の鳥居と長い参道ひたすら歩きます。筑波山神社名物の紫峰牛。県指定文化財の御神橋。普段は通れませんが、春と秋の御座替祭(4月1日・11月1日)と、年越祭(2月10日・11日)の時だけ参拝者の渡橋が許されます。つくば道の由来。長い階段を登って行きます。参道の途中にある凶悪な姿の狛犬もとい、奇妙な姿の狛犬です。随神門。夏越の大祓の茅の輪。更に続く階段。やっと拝殿に到着。風光明媚な筑波山神社の拝殿です。写真は撮りませんでしたが、拝殿の周辺には境内社と末社の『朝日稲荷神社』と『春日神社&日枝神社』に『厳島神社』もあります。狛犬。何かの石碑。手水舎。コロナの影響か、柄杓が置いてません。ケーブルカーの宮脇駅から頂上へ向かい、女体山と男体山を撮影。女体山方面。男体山方面。男体山と女体山には、それぞれ本殿があります。この日は天気が悪かったので、余り下界の景色が良くないので、それほど写真を撮りませんでした。因みに運がいいと東京の高層ビルや、富士山も見れるみたいです。小腹が空いたので、土産物屋で牛肉コロッケを食べた後に、酒を飲みながらローズポークの肉まんを注文。(父は日本酒飲んでましたが、自分が頼んだのはノンアルビールです)それでは今回書いて貰った境内社の厳島神社の御朱印と、ダイヤモンド筑波山のクリアファイルの写真に、前回書いて貰った筑波山神社と男体山と女体山の御朱印の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。筑波山神社〒300-4352茨城県つくば市筑波1

  • 21Jun
    • 『ベルズイン土浦と黒ちゃんラーメンととんかつ与作』 土浦市の画像

      『ベルズイン土浦と黒ちゃんラーメンととんかつ与作』 土浦市

      夕べは土浦市の桜町で、晩飯と酒を頂いて来ました。まずは桜町にある『黒ちゃんラーメン』で晩飯。頼んだのは黒ちゃんラーメンだけに、『くろラーメン』うっすらと胡椒みたいなのが入ってて、少し辛みがあって美味い。その後は同じ桜町にある『とんかつ与作』で、酒を頂きました。(与作の建物の写真は撮り忘れたので、以前の写真です)ビールを飲みながら、ツマミを頂きました。焼き鳥と豚肉串。サバの焼魚。ホタテのバター焼き。ホタテのバター焼きとサバの焼魚は、醤油をかけたらすごい美味かった。土浦辺りなら代行呼んで帰宅すれば良いんですが、値段的に代行で帰るのと、ビジネスホテルに泊まる値段がたいして変わらないので、土壇場でホテルを予約していて、酒盛りする前にチェックインしていたホテルの『ベルズイン土浦』に戻ります。ベルズイン土浦朝食はバイキング形式で、鳥肉・オムレツ・焼売・ポテトサラダ・白米にカレー・白味噌の味噌汁を取ってたいらげました。後日談もあるんですが、それはまたの機会に書こうと思います。それでは、土浦駅前のバスロータリーから撮影した土浦市役所の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。

  • 13Jun
    • 『郁文館の正門』 土浦市文京町の画像

      『郁文館の正門』 土浦市文京町

      徳川幕府の時代、土浦藩には郁文館と呼ばれる藩校があり、当初は土浦城内に置かれていましたが、第10代藩主の土屋寅直の時に現在地(土浦市文京町)に新築して移ったそうです。郁文館の名称は7代藩主の土屋英直により名付けられました。また、文武館とも呼ばれ、文館と武館に別れていて、学者として有名な藤森弘庵や、剣客の島田虎之助が指導にあたっていたそうです。その後、明治と大正にも洋高校化成館・明治師範学校・土浦師範学校の校舎にも使用されましたが、昭和10年(1935年)に取り壊されて、正門だけが残されて、跡地は土浦第一中学校の敷地になっています。此方が郁文館の正門。この日は門が閉じてますが、平日は門が開いているそうです。角度を変えて撮影。門を近くから撮影。説明版。門の位置は道路拡張の為、昭和62年に解体修理時に90cm後ろに移動し、地盤沈下による建物の不同沈下防止策として、地面下の基礎はPC杭で支持しています。また調査の結果、木材表面に酸化第二鉄(ベンガラ)を検出した事から、赤門に復元されました。それでは個人的な話になりますが、本日は筆者であるヘリオスの誕生日でございます。私めと偶然同じ誕生日の『ラブライブ!!サンシャイン』の『小原鞠莉』様の写真と、彼女の家族が経営するホテルオハラのモデルになった、静岡県沼津市・淡島にある『ウィンダムグランド淡島(旧・淡島ホテル)』の写真を御覧頂き、水の星へ愛をこめて、今回の記事を締め括ろうと思います。(『水の星へ愛をこめて』は歌手の森口博子さんのデビュー曲で、彼女も私と同じ誕生日です)郁文館正門茨城県土浦市文京町3-8(土浦第一中学校前)市指定重要文化財 建造物昭和46年(1971年)7月13日指定

  • 07Jun
    • 『常名神社』 土浦市常名の画像

      『常名神社』 土浦市常名

      1月の月末に東京大田区の神社で御朱印頂いてから、久しぶりに神社参拝で御朱印を頂いて来ました。今回訪れたのは土浦市常名に鎮座する『常名神社』で、地名及び神社名の『常名』の読み方は『ひたな』と読みます。前方後円墳の上に鎮座している非常に珍しい神社です。常名神社の祭神は『菅原道真公』と『誉田別命』で、調べた所、大正二年に敷地内に鎮座していた東天神社・西天神社・八幡神社を合祀したそうです。神社の回りは住宅街で狭い路地ばかりで、鳥居の近くに車を駐車出来るスペースがなくて、裏手にある境内に入る狭い通路に車を停めて、表参道から参拝。常名神社の鳥居と社号標。社号標には、『村社 常名神社』と書かれています。鳥居を潜ると狭い参道に勾配な階段を登って行きます。拝殿。小さい穴がありますが、この穴は賽銭入れです。本殿は撮り忘れてしまいました。境内社。上記にも書きましたが、常名神社は前方後円墳の後円部に鎮座していて、古墳の名前は『愛宕天神古墳』といって、その説明文が書かれた立看板が置かれています。前方部が此方で前の方には、土が盛られた上に木が植えられています。少し離れた所に宮司さんのお宅があり、其方に連絡入れて御朱印の有無を確認すると、宮司さんのお宅にお訪ねすれば、御朱印を書いて頂けるとの事で、すぐに車で宮司のお宅に向かいました。此方が常名神社の御朱印です。それではこの日の昼飯で食べた『まちかど蔵』の『ほうれん草とサーモンのクリームパスタ』の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。常名神社茨城県土浦市常名2445-1〒300-0065

  • 05Jun
    • 『とんかつ 与作』 土浦市桜町の画像

      『とんかつ 与作』 土浦市桜町

      二~三週間位前に土浦駅周辺に出掛けた際に、帰りが遅くなったので市内で晩飯を食べる事になりました。前にも店の前を通って気になってたので、その内来ようと思ってて今回その機会が訪れました。その店が此方の『とんかつ 与作』です。店から歩いて数分の所に、駅前に移転してきた土浦市役所があり、店の前からも市役所に隣接しているソリッドタワーを見ることが出来ます。いかにも老舗といった雰囲気の店です。飲み屋でやってる様な品書きの他に、定食物もやっています。店内の雰囲気はこんな感じです。今回頼んだものは、チキンカツ定食。揚げ物ですが、余り油っこくなくて、肉も大きくて美味かったです。それでは今年の正月休みに東京千代田区へ訪れた際に、夜に撮影した将門塚と東京駅に神田明神の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。将門塚。東京駅。神田明神の拝殿。とんかつ与作〒300-0037茨城県土浦市桜町一丁目15-14営業時間11:30~14:00 17:00~22:00 日曜日休業(営業時間の記載が間違っていたらすいません)

  • 30May
    • 『ポロン(CAFE de POLLON)』 土浦市桜町の画像

      『ポロン(CAFE de POLLON)』 土浦市桜町

      土浦の市街地へ向かい用を済ませた後、桜町の路地裏にある店で昼飯を食べてきました。店がある場所から少し先に進むと、北関東最大の色街とも、北関東の歌舞伎町とも称される風俗店が立ち並ぶ『桜町風俗店街』があります。桜町の色街はともかく、昼飯時を迎えたので、店に直行。店の看板があり店は2階にあるようで、階段を登って行きます。階段の側にはコーヒー豆らしき物が入ってる容器と、コーヒーカップがディスプレイで飾られています。店の扉の前に着くと、店主の男性が出てきて店の中へ案内してくれました。店の中はこんな感じで、写真だと断片的なので解りにくいですが、落ち着いた昭和のレトロな雰囲気を出していて、中々いい趣のある店です。店の品書きを見て一番右端に書かれている『ハンバーグ定食』を注文。しばらく待ってるとハンバーグ定食が到着。ハンバーグの上には目玉焼きも乗っていて、コンソメスープみたいなのも付いてきました。飲み物も付いていて、食後に出してくれました。(コーヒー・紅茶・ミルクのどれかで、自分はレモンティーを注文)紅茶を乗せてる板みたいなのも中々いいデザインです。食べ終わった後に品書き見ていたら、ついサンドウィッチ(サンドイッチ)も頼んでしまいました。玉子焼の甘味と塩味が丁度良い具合で合っていて、凄い美味しいサンドイッチでした。それでは土手から撮影した桜川の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。CAFE de POLLON(ポロン)土浦市桜町2丁目12-1〒300-0037営業時間 11:00~21:00定休日 日曜日

  • 23May
    • 『荒川沖の宿場町』 土浦市荒川沖西の画像

      『荒川沖の宿場町』 土浦市荒川沖西

      土浦の荒川沖には、水戸街道沿いに『宿場町』がしかれていて、荒川沖宿は水戸街道20宿の一つであり、千住宿から数えて九つ目の宿場町でした。荒川沖の所在地は土浦になってますが、名前の由来は隣町の『稲敷市阿見町荒川本郷』と関係があります。慶長九年に水戸街道が開通した際に、阿見町の荒川本郷から移住してきた有力農民七戸が宿場を形成したのが荒川沖の宿場町の起こりで、江戸時代以前にはこの辺り一帯『荒川野』と呼ばれていて、乙戸川・霞ヶ浦・牛久沼が頻繁に氾濫して、この辺一帯が水浸りになっていたそうで、この様子から『荒れる川の野』『水に荒らされた野』と呼ばれたのが始まりで、荒川本郷から遠くに見える事から、『荒川の沖』と言うことで、荒川野を沖に見る地区が現在の荒川沖という事です。宿場町だった通りには、今もその頃の建物が数件残っていて、当時の様子を偲ぶ事が出来ます。この建物は凄い門構えで素晴らしい造りですが、個人宅の民家なのかな?荒川沖宿には本陣が無いと聞いたので、本陣では無いと思うんですが…此方の茅葺き屋根の建物は、宿場町だった頃に旅籠屋だった『佐野家住宅』で、今も此処で住んでいる方がいるそうです。外装だけですが、旅籠屋の様子を伺う事が出来ますが、ブロック塀がある為に一階部分が余り見る事が出来ないのが残念です。茅葺き屋根の建物が近くにもう一軒あって、此方は『鶴町たばこ店』で、現役のたばこ屋として続いてると聞いたけど、まだたばこ屋やってるのかな?因みに荒川沖の宿場町はWikipediaによれば、『南北に数百メートルの範囲で広がっていた。小さな宿場町で、本陣は置かれていなかった。宿場町としての役務は隣の牛久宿と分担して行っており、荒川沖宿のみで完結したものではなかったという。正規の宿場町ではあったものの、継ぎの宿という位置づけであったとされる』との事です。それでは荒川沖にある『荒川沖天満宮』の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。

  • 20May
    • 『中根の一里塚』 牛久市中根の画像

      『中根の一里塚』 牛久市中根

      この前、荒川沖の一里塚の事を記事にしましたが、道路を挟んで反対側に『中根の一里塚』が現存しています。道路の両側に一里塚がある訳ですが、片側が土浦の管轄、もう一方が牛久の管轄になっているのか、同じ場所なのに名称が違うというややこしい事になっています。中根の一里塚は、徳川家康が慶長九年頃に全国の主要道路を改修・改良を加えて一里塚を設けて、この時期に開かれた『水戸道中』の起点である江戸の日本橋から十七番目に『中根一里塚』が築かれました。市内には他にも『成井』『田宮』に一里塚があった様ですが、現在は成井一里塚が残されているそうです。前の記事でも似たような事を書きましたが、一里塚とは一里(約四キロ)毎に街道の両端に、約五間四方(約9m四方)・高さ一丈(約三メートル)程の塚を築いたものです。道路の反対側から撮影した中根の一里塚。間近から撮影。塚の上には石碑が建てられています。次回も旧水戸街道の話を書こうと思います。それでは、石岡市にある洋食屋の『森樹』の豚肉の香草焼きと、『キッチンさくら』のチョコパフェの写真で今回の記事を締め括ろうと思います。森樹。豚肉の香草焼き。キッチンさくら。チョコパフェ。

  • 17May
    • 『荒川沖の一里塚』 土浦市荒川沖の画像

      『荒川沖の一里塚』 土浦市荒川沖

      土浦市の6号国道には、江戸時代に築かれた『一里塚』が道路の両脇に存在しており、人様の記事を参考にさせて頂いた所、上り右側が土浦市荒川沖の一里塚で、下り左側が牛久市中根の一里塚となっています。今回は土浦市にある荒川沖の一里塚です。説明板。江戸時代の初めに、徳川幕府は全国の主要道路整備の一環として、水戸街道を作りました。水戸街道は五街道に次ぐ重要な脇街道の一つで、千住から水戸まで約三十里(約120キロ)の道のりでした。一里塚は一里毎(約4キロ)に作られ、距離を測る目安となると共に、旅人達の長い旅路の疲れを癒す憩いの場所にもなっていました。かつては『原の前・大町・板谷』にも一里塚がありましたが、現在は板谷の一里塚が市指定重要文化財として保存しています。原の前の一里塚は、6号国道を作る際に塚を削られてしまい、一里塚の雰囲気はかなり薄れてしまっているそうです。道路の反対側から撮影した荒川沖の一里塚。真横から撮影した荒川沖の一里塚。塚の上には石碑が建てられいて、以前は石岡の一里塚と同じく巨大な樹木があり、疲れた旅人に木陰を提供していたと思われますが、現在は木の幹だけが残されており、見る影もありません。因みに荒川沖の一里塚は平成十年に、地主の本田春義氏により土浦市へ寄贈されました。次回は中根の一里塚の記事を書こうと思います。それではこの日に昼飯を食べた亀屋の『ハンバーグとエビフライ定食』の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。

  • 10May
    • 『戸崎八坂神社』 かすみがうら市戸崎の画像

      『戸崎八坂神社』 かすみがうら市戸崎

      GWに何回か買い出しに行ったのですが、その時 かすみがうら市の戸崎を通った際に、『八坂神社』の前を通ったので、参拝して参りました。鳥居。手水舎。拝殿。本殿。改装中の様で、回りに足場が作られています。境内社と末社。地蔵様が奉られているいるのですが、神社では珍しいと思います。何かを納めている建物。鳥居の左側にも末社がありました。八坂神社の南側には、霞ヶ浦と湖岸沿いに敷き詰められた蓮田を展望する事が出来て、素晴らしい景色を見る事出来ます。写真では解りにくいですが、霞ヶ浦の先には牛久大仏の姿も見えます。しかも正月には、この場所からダイヤモンド富士が見れるそうですよ。それでは、昨今コロナウイルスが巷を騒がしていますが、そのせいかその姿を絵に書いて流布すると疫病がやむと伝説のあるアマビエの絵が一部で流行っているそうですが、声優の逢田梨香子さんが書いた化物……じゃなくて、アマビエの絵の写真で今回の記事を締め括ろうと思います。戸崎八坂神社茨城県かすみがうら市戸崎

  • 06May
    • 『氏神様』の画像

      『氏神様』

      家で祀っている氏神の厳島神社。数年前にあった東北大震災の影響で社が壊れてしまったので、近くのホームセンターで私が購入してきた木材を、若い時に土方をしていた父が加工して社を立て替えようとしていますが、普段に他にやることもあるので、中々思うように進みません。此方が当家で祀っている厳島神社の祭神『市杵島姫命』です。