行方市には『夜刀神伝説』と呼ばれる伝承が残っています。
まず夜刀神とは頭に角が生えた蛇の姿をしており、夜刀は「やと・やつ」と呼び、関東地方の方言と言われていて、谷間を意味する「谷津」「谷地」「谷頭」に由来しているとの事です。
霞ヶ浦周辺の谷間には蝮などの蛇が多く、夜刀神とは土地神としての蛇神であるとされています。
その夜刀神を奉る夜刀神社と逸話の残る行方市に訪れてきました。
常陸国風土記には「椎井(しひゐ)の池」がこの付近あったとされ、社前の清水が涌き出る「天龍の御手洗」が現在の椎井であるそうです。
駐車場の目の前にあるのが恐らく天龍の御手洗だと思われます。
天龍の御手洗
(椎井池)
椎井の標識と石碑。
六世紀始めの景体天皇の時代、箭括氏麻多智は葦原を開墾して新たに田を造りましたが、夜刀神が群をなして現れて開墾の妨害を始めました。
麻多智は夜刀神と人間の住む土地を境界を引き、夜刀神を追い払ったとされています。
七世紀半ばにも壬生連麿は池に堤を築こうとした際に、夜刀神達はほとりにある椎ノ木に登り退去しない為、連麿が退去する事を命じると一目散に逃げ出していったそうです。
夜刀神社の御朱印は、小美玉市にある素鵞神社で授与して貰えます。
それでは素鵞神社の社殿と夜刀神社の御朱印の写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。
愛宕神社・夜刀神社
茨城県行方市玉造甲3451-1