今回の記事は土浦市大手町の花蔵院の話ですが、以前書いた記事に文章を追加編集して、写真も新しく変更追加しています。
土浦市大手町郵便局の近くにある花蔵院に、沼尻墨僊のお墓があるという事で、本日花蔵院に再訪してきました。
大手町郵便局↓
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大手町郵便局の前を進んで行くと、街中の建物の間に華蔵院への入口があり、普通にこの前の道路を通ると見落としてしまいます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200927/13/titanharios/f3/ad/j/o1080060714825968302.jpg?caw=800)
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花蔵院の宗派は真言宗豊山派で、開山時期は解りません。
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正面左側が墨僊の墓です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200927/13/titanharios/a4/52/j/o1080060714825968333.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200927/13/titanharios/d6/ad/j/o1080097714825968351.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200927/13/titanharios/76/75/j/o1018108014825993043.jpg?caw=800)
墨僊は元々田宿町(土浦市大手町)の中村家の出身で、彼の実父は中村治助といい、中村家は五香屋と呼ばれており、五香湯という漢方薬を販売をしていて、宿場町の重要な施設であって、人馬や公的な書状や荷物を引き継ぐ問屋業も営んでいたそうです。
文化10年に79歳で没し東崎町の法性院に葬られましたが、中村家は明治以降に絶家になり、無縁仏になっていた所、平成24年法性院の整地に伴い、息子の墨僊とその養父が眠るこの地に移設されたそうです。
中村治助の墓碑。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200927/13/titanharios/af/59/j/o0583108014825993053.jpg?caw=800)
墨僊の話に戻りますが、多大な業績を残した天才学者・沼尻墨僊は安政3年(1856年)4月26日に82歳で永眠し、2日後の4月28日に土浦田宿町(現在の土浦市大手町)の華蔵院に埋葬されたそうです。
土浦の繁栄と住民の暮らしの安寧を思い、町の発展や子弟の教育に力を尽くし、土浦の町を愛した沼尻墨僊は、今も家族と共に華蔵院に眠り続け、彼が育った土浦の町を見守り続けています。
『追記:以前にも沼尻墨僊の事は「沼尻墨僊 ~土浦市の天才学者~」というタイトルで記事を書いているので、 沼尻墨僊に興味のある方は、上記にリンク先(青色の文字の記事タイトル)を貼ってありますので、其方の記事も併せて読んでみてください』
花蔵院
〒300ー0044
茨城県土浦市大手町8ー17
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