日本のオーディオアンプがかつてアメリカで通用しなかったか? | ニャンコの音楽とオーディオでまったりした日々

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オーディオは以下のとおりです。
https://ameblo.jp/tiromie/entry-12481502923.html

元サンスイアンプの設計されていた方の全文を引用するのも憚れるのでまとめてみます。
 
といっても一言。
 
アメリカとはスタジオモニターのスケールが異なる。
 
日本のようなブランド志向がない。
 
そうしてメロディーから歌詞の日本人音楽と違って、まずはリズムは当時からと当たり前の音楽構造の話もありました。これは先日のDJとの方とも一致したことで、日本のオーディオはリズム苦手が少なくないと思って来ました。
 
「レコーデイング機器はどうかというと、スピーカはまずJBLではなかった。マスタリング・ラボのツイン方式や、スタジオ独自でマルチウエイスピーカーシステムを作り上げていた。あれだけ、爆発的に日本で売れていたJBL4343はどこのスタジオにもなかった。おそらく、日本向けが90%以上ではあったのだろうと推測された。上記のマスタリングラボやウエストレークスタジオが、そのスタジオに合わせたスピーカーシステムを構築していたのであろう。やはり、低域、それも音楽のベースとなる中低域の再現を最も重視していた。」

 

 

 
「パワーはどの程度欲しいかと聞いてみたところ、「300W以上かな?」と言って、スピーカーのインピーダンスが2Ω負荷以下になっても問題なく動作することを気にしていた。」
 
 
 
確かにこのころは、2Ω以下のスピーカー負荷に耐えられるほどの日本のアンプに対応できるものがなかったですねえ。

 

 

 
 
ここも日本のスタジオとはまるで違ったのですねえ
 
「現在のスタジオではヤマハNS−10Mの小型SPでこじんまりモニターしているようだが、当時のアメリカのスタジオでは地響きを立てるような凄い音量でモニターし、プレイバックしていた。また、スピーカユニットも、周波数によってはインピーダンスが変動するので、音楽ソースでは2Ωになっても保護回路が動作しないことが要求された。」
 
「フルパワー時にショートで壊れてしまうようなパワーアンプは売れないと主張し、日本サイドはリレーの応答速度を早くしたりしたが、どうしてもアメリカからの彼は満足しなかった。彼は帰国後、サンスイアメリカ支社を辞めてしまった。」
そんなアンプ、サンスイをはじめ、日本メーカーにはなかったですよねえ。
 
そうしてサンスイからのプロ用パワーアンプは1台もアメリカには出荷出来なかったとありました。
 
 
 
さらに加えると、当時はそういうモニター用アンプとか、欧米で家庭用に出てきていたハイエンドアンプの考えが日本オーディオメーカーやブランドになかった(TEACからハイエンドブランドESOTERICを立ち上げた元大間知社長との雑談)。たしかに、瀬川冬樹先生はマークレビンソンをマルチアンプでしたね。
 
当時のサンスイから世界に通用するアンププロジェクトの失敗は今でも考えさせられます。要は当時も今も遅れているところがある。
 
正直、サンスイアンプを1度もいいと思わないまま、お金なくて買い換えられなくて使った立場からは、この設計者のマスターズブランドのアンプの音質は別格と感じました。
 
アメリカピアレスのトランス技術を引き継いだマグネクエストトランス。
 
 
なお当時の日本オーディオトランスについても触れられておられます。
 
範となったトランスはUTC(解散してしまった。)トランス

 

 

 

 
 
サンスイでは会議が通らなかった、電解コンデンサーを電源のコンデンサーから排除。オールフィルムコンデンサーのこちらの音とかつての907などの国内でだけは大評判の日本専用アンプのころを思うと、複雑な思いです。
 
 
 
 
 
 
東芝の下の6G-B8真空管もテレフンケンのEL156に比べるまでもなく、イシノラボに東芝のこの球では音楽をまともに聴いていられないから、せめてEL34か6L6を使えるようにして欲しいと定数など交換。
 
音質では世界的には音質、性能が発展途上のまま日本だけ?のガラパゴスオーディオブームが去ったような想いがありますが、現場のご経験のOMな皆様からは、いかがでしたでしょうか?