馬鹿げたことだなあ、とちょっと恥ずかしい気持ちがした。
論語や大学や中庸とか、プラトンやソクラテスやアリストテレスなど、
他にたくさんあるだろうになぜ吉田松陰なのか?
はっきりいって松蔭は兵法家と教育者としては有名だけれども、
活動家や思想家としては失敗した人物だ。
その人物を子ども達の教材として第一に取り上げるというのは馬鹿げてるだろう。
ただ行政の人々が、子ども達のなかに真っ当な行動によって、
政権・行政転覆を狙わせるほどの野心が育つことを期待している、のなら賛成してもいいけども。
正直、松蔭は過大評価されすぎている。
幽囚録での戦略眼は直感的に優れているが、その根拠はいい加減な神道的文献にあると思う。
そもそも先住民族の生活圏や推測的な自民族の行動圏に影響力を持とうとしている時点で、
外敵排除を考えすぎてひどく話が偏っている。もちろん、あの時代だから仕方がない。
最後の顛末にしても、ついつい以前と同じような説教をやってしまい、
死罪になるのだから、あまりにもお粗末な結果だ。
むしろ、その先の牢獄からのエピソードに最大の魅力がある人物。
松蔭のような過激な活動に走った人物を、
「テロリスト」などと当たりもしない言葉で非難する人間がいるけれども、
国際政策と外交を巡って天皇と将軍で真っ二つに割れたあの時代の人間達が、
単純なレッテルでおさまらないユニークな人間達であったことを知ってもらったほうがいい。
それに幕府の存在は整合性を多大に失っていたところだってあるのだ。
外国との交易を幕府だけで進めようともした。
そのように松蔭だってそこまで教育者として優秀なわけでもない。
だいたい優秀な人物はこっそり外国留学した場合もあるのだから、
松蔭死後の塾生達の活躍を、松蔭だけのものにするのはどうかと思う。
批判的な感情は誰でも持つけれども、そこに批判的精神を養うのは難しい。
批判的精神は精神が判断していく際の、
明確な手続きの正否に対してのこだわりみたいなものだろうけれども、
これはまったく難しいじゃないか。
スキルのある大学生でもなにかを考えることになると、まったく変なことを言い出す時勢だ。
もちろん僕だってほとんど変だろうし。
それでも、子どもが読みやすい哲学の本でも読ませればずいぶんいいだろう。
プラトンと論語でも読ませるのが王道だろう。
それか最初に三木清の『哲学入門』を読んでみるとか。
他にはフランクルの『死と愛』が多いに得る所があったけど。
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