この度、デビュー50周年ということで、こちらで作品展がありました。くらもちふさこさんじゃ。
とは言ってもやね、もしかすると知らない人もいるじゃろうなって思う。
古い漫画家さんなんじゃ。
ちくわはね、たしか高校生の時くらいに「おしゃべり階段」という(怪談話とは関係ない)作品を読んで、えらく引き込まれてしまったんじゃね。
これね、たった2巻で終わるお話で、その2巻のあいだに主人公が中学二年から大学浪人まで進み、5年間をそのページ数に詰め込むというアラワザをやってるんじゃよ。密度としてはまじに凄くて、ちくわは手塚治虫先生の「ワンダー3」全二巻に匹敵するんじゃないかと考えていますのじゃ。
「おしゃべり階段」はちじれっ毛がコンプレックスの主人公が、幼馴染の中山手君と付き合うまでを描いたお話でじゃな、彼女たちに関わって来るキャラも併せて、徐々に成長していく過程が描かれているもので、いささか地味な作品じゃ。
けれど、中坊って総じてこんなだよなあって、そこいら辺の空気というか考え方とか生活感、そういうのがびしびし伝わってきてじゃね。
天才かも! って舌を巻いたものでした。
その後「いつもポケットにショパン」という、少し長めのものが書かれます。
プロのピアニストを母を持つ麻子が主人公で、同じような境遇の季晋とは一緒にピアノ教室に通う仲だったのじゃ。その後やがて季晋はドイツへ行くことになり、離れ離れになるが、現地で列車事故に巻き込まれて音信が途絶えてしまう。
それから時が経ち長じてから再び巡り合う。
そういうお話じゃな。
これもわずか5巻という短さでじゃね、正直、この話もっと巻数があるような気がしていたよ。
それだけ素晴らしく凝縮されてるってことじゃね。
音楽関係のコンテストや音楽学校の様子など、かなり詳しく書かれてるので、この人そういうとこに行ってたんかなあって、ちょっと感じるほどだったんだけど、ほぼ取材であったらしくて、そこんところも驚いたのでした。
取材して勉強しながら作品に反映させる。そこんとこがプロじゃなあって感じました。
そういえば、その後描かれる「天然コケッコー」も、なんで島根のお話なのか? って驚いたんじゃが、どうやら母方の里が島根だったらしくてじゃね、ちょっと安心しました(笑)
これも島根の方言に関する資料が展示されていたので、ちゃんと勉強したんじゃろうな。
こっちのお話は過疎の島根の村落のお話で、学校も人数が居ないので小さい子から大きい子まで纏められてる。全生徒6人。
そこに東京から転校生が来て、主人公は初めて同級生を得るのだが、彼のお母さんと主人公のお父さんとはその昔付き合っていたことがあるようで。 というお話じゃ。
なんにも起こらないお話でじゃね、いや、小さなことは起きるんだけど、なにせ小さな村のことなので、まじでダラダラ日常が流れて行く感じの漫画なんじゃけど、これが作者の一番長い作品なんじゃなかろうか。たしかダラダラ12巻くらいまである。
こういうのが描きたかったみたいじゃね。何も起きない中で皆が成長するお話。
実はちくわはこの作品が一番好きかもしれない。
読んでてホッとするんじゃよね。島根の方言もカワイイしな。
なんていうんだろう、田舎あるあるで、その狭い世界の中で暮らすのんびりとした気楽さと、ちょっとした閉塞感。
他の世界が見えないがゆえの、比較によって歪まない生活。(世界一幸福度が高かったブータンは、ネットによって世界の情報が入ってきてから、幸福度の崩壊がはじまったみたい)
この人の作品というのは、根底に「おさななじみ」みたいなものがあってじゃね、最近の傾向としては幼馴染は負けヒロインみたいな感じもあるんじゃけど、なんだかんだあっても初志を貫徹して終わるようなお話が多い。
こういうのって、首尾一貫して外せない思考なんだろうなって思う。
作家が持つ固有の信念(とまで言い切っちゃうわけにはいかないかもだけど)。
長く世界を描いていると、どうしたってにじみ出ちゃうものなんだと思う。
もう一回読んでみようかな。
そうそう、故人の漫画家で三原順という人が居てね、「われらはみだしっ子」って作品書いてたんだけど、これがまあまじに異色の漫画で、家庭からはじき出された子供4人がじゃな、ヨーロッパらしき国のどこかで、自分たちでなんとか生活する。みたいなストーリーで、各キャラの内面にこれでもかって深入りして、まあ、まじでドロドロなお話だったんだけどね。
このなかにふわっと登場する「フーちゃん」ってキャラが居て、このキャラこそくらもちふさこさんがモデルと言われてるんじゃな。(全体が暗さ全開の話なので、彼女の登場回は一息付けたざんす)
ちくわ、それ初めて聞いた時に「ほえーーっ」って驚いちゃったんじゃ。
どんな接点があったんじゃろうね。