チェーン店の本屋さんはまだ大丈夫そう。
けど独立系でがんばっている本屋さんも有るんじゃ。えらいものじゃ。
ただね、もうご近所には無いのじゃよ。
ちくわが歩いて行ける本屋は、この町に六軒ほどあった。本を探し求めて、すべてを梯子したこともあった。
探してた本が見つかった時、すごくうれしかったんじゃよ。巡り合うための旅を終えた感があったんじゃ。
それがもうね、ひとつも残っていない。ええ、一軒もじゃ。
歩いて行こうと思えばいけないことは無い、坂道の上にあるイオン、そこにある本屋はほぼ能無しでじゃな、欲しいものは無いし、役に立ったこともない。(すげえディスってんなとは思うけど、ホントのことなのでじゃなすまぬ)
だから、あの店をうちの町の「本屋」とは言いたくないのじゃ、店員さんの熱意も工夫も感じられないし、売れるモノだけ並べてる砂漠のようなとこじゃ。
なので、車でしか行けないとこにしか「本屋」は無いのでした。
妻の実家近くの本屋さんは、ほどほどの規模で、割と賑わっていたので無くなることは無いだろうと、たかをくくってた。
いや、最近文房具やら雑貨やら衣料品やら食料品まで置きだして、厳しいのかなとは思っていたんだけど、他の本屋さんもだいたいそんな感じなのでじゃな、そんなに重く考えてなかったのじゃよ。
なんせ大手の蔦屋なんかでも同じで、本のスペースが削られて、全く同じ感じで雑貨や文房具が売り場を広げていたもの。(喫茶部まで出来ちまいやがったよ)
本屋さんの苦肉の策なんだろうなと思っていたのこと。
したらじゃな、今日行ってみたら「長らくご愛顧いただきまして」って入り口に掲げられていたんじゃよ。
当店は六月の三十日をもって閉店いたします。 なのだと。
こらこら。
いや、こらこらじゃないな。
そんなかい? そんなに厳しかったのかい。
ここの書店はかつてちくわの町にもあったんじゃ。五階建てのビル全部が本屋だった。地場のデパートの経営する本屋だったのじゃ。
なので置かれている文房具も、当時としては他にはない洒落たものばかりでじゃな、各種ある色インクの文字が書きたくて先割れペン買ったのもここだったす。(イグアナの描かれたグリーンのインクがお気に入りじゃった)
きらきらしたお店だった。
更にこれが小倉に出来た時もなかなか衝撃的で、これでもう手にはいらぬ本は無いのかもと、ちょっと誇らしかったものじゃ。地方都市でこれほどの規模はなかろう。うははははは、どうじゃ! とね。
(その後時代が過ぎて、博多のジュンク堂に行った際、上には上があるなあと驚いたもんじゃけどな)
そこがもう続けてゆけない。
もう、そんな時代なんじゃな。
出版業界の苦境は言われて久しい、更に大手の古本屋(だいたいじゃな、古本屋が大手になっちゃいかん思うぞ)の台頭から、インターネットで読める点、雑誌の凋落、活字離れ、そうじゃな、考えてみたら喰える要素がないなあ。
図書館の功罪なんか小さなもんじゃろう。
本なんて「字」しか書いてないのじゃもの、漫画より簡単にトレースできるわね。
おまけに本は高くなった。
鶏が先か卵が先かなのかもじゃけど、加工賃やら材料費高からの部数が出ない問題、そりゃ値上げするしか無くて、そうすればさらに売れなくなるわね。
文庫買うのに1000円出してもらうというのは、もはや奇特な行為かもしれない。
とはいえ、それくらいの価値はありたいもんじゃね。
「華氏451度」という古典的なSFがあるんじゃ。
レイブラドベリのその作品は、本を所持していたり読んだりすると罰せられる世界のことが書かれてる。
主人公は没収された本を焼却する公務員ファイヤーマンで、模範的で率先してそれらを燃やすことを使命としていた。
市民間では密告が奨励されていて、漫画以外の本を持っていたりすると逮捕されてしまう。
ある日となりに越して来た少女が本を読んでいることを知る。
この風変りな少女と知り合うことで主人公は、自分の仕事や生き方に疑問を感じ、やがて本に何が書いてあるのか読んでみることになる。
こんなお話じゃ。
ちくわは実は映画から入ったし、その時はたぶん中学生くらいだったと思うので、面白い話だなあくらいにしか感じなかったしじゃな、使った主人公が射殺される映像がニュースが流されてるのに、実は外の世界に追放されて生きていることがよく理解できなかったのす。そう、外の世界にはそうやって追い出された人ばかりがいて、自分の暗記している物語を誰かに伝えたり、伝えられたりしてるシーンで映画は終わっていたんじゃ。(うろ覚えなので、間違ってたらごめんなさい)
ブラッドベリはテレビの怖さ、流されていることこそが真実で、そこに疑問を持つことが否定される世界への警鐘というか 自分でものを考える行為を放棄している ことへのアンチテーゼとして書いたそうなんじゃな。
けれど、もしかしたら今の状況にこそ合っている物語なのかもしれないね。
すでにテレビの脅威というのは去ったけど、更に手ごわくてもっと恐ろしい力を持ったものが立ちふさがっている。
モノを知る、考える、自分を形づくる、そういうものの象徴として「本」は選ばれているんだけど、もちろんそれができるのは本だけじゃない。
でも、ここで本を引き合いに出したのはとても効果的だったと思いますね。
(ウィキ見てみたらフランソワ・トリュフォー監督だったんじゃな、もう一回観たくなってきたなあ)
そうね、スマホやインターネットの世界はまだまだ広がるかもしれない。仕事の仕方や商売ももっと変わるじゃろう。
時代遅れでしがみ付いても仕方がない場所に、いつまでも居ることの愚はあるじゃろう。
食べられ無くなればそれらは自然に死滅していく、生き物の世界と同じように。
ただ、それに抗おうとするヒトはいるね。敢えてということじゃ。
解ってるよ、解っているんだ、けれどでも、それでもって考えてるヒトじゃ。
損とか得とか、儲かるかそうでないか、そういうのに関係なくじゃ。
アップルのCMの傲岸さというのは、そういう反骨を逆なでするものじゃった。
ツクモガミの宿るというこの国の文化と、それに染まってるちくわ以上の世代と、もののあはれとか倹約とかもったいないという考え方、まあ時代遅れにはちがいないんじゃけれど、そういうものに喧嘩売っているとしか思えない。
買ってやるぜ!
お前のとこの製品は買わねえ。(おや、買ってやるんじゃないの? いやその喧嘩買ってやるってことですがいね)
まあ、ちくわがどうしようとアップルは痛くも痒くもなかろうがじゃ。
とにかくね、今回のお店の閉店報告はホントけっこう来たなあ。
文房具・雑貨三割引きということで、店内は賑わっていたし棚もガラガラになってたよ。15日からは半額で、以降7割引き、そして最後は袋に詰め放題ということじゃから、ハゲタカ・ハイエナ諸君は急いで行くといいよ。
それにしても悲しいなあ。
いままでありがとな、クエスト鞘ヶ谷店。
みんな、けどとにかくじゃ本は読もう。
おもしろいからさあ。(いや、おもしろくないものも・・・・・・・ごにょごにょ)