大谷翔平さんのお話が朝のテレビ番組なんかで良く取り上げられている。

通訳の一平ちゃんが、そのキャラに似つかわしくないギャンブル依存症で、彼の口座からお金を引き出していた。

のではなかろうか、というお話じゃな。(あくまで「なかろうか」としか言えないけど、現時点)

 

似つかわしくないキャラがえらいことしてしまうと、人々が持っていたイメージからの落差によって、激しい失望感やら怒りまでも生んじゃうようでじゃな、いつかそんな事しそうだなってチンピラ的なキャラが起こすよりも、心の中にずっと激しいムーブメントを感じちゃうようじゃ。それはそうだね。

実際にちくわも「おやまあ」って思っちゃったしな。(関係ないけれど同じ立ち位置にいながらやらかした乙武洋匡さんに、今回、はからずも流れ弾が飛んでたというお話は、わからなくもない。うん)

それにしても普通に働いていたらなんてことなかったのに、もったいないことじゃな。

 

ちくわは人の信頼を裏切るような人が嫌いだし、許せないのだけれども、実際にはそんなに憎むことができないという、難儀な人だったりするので、大谷君じゃなくて良かったようなどと思う。(比べられるもんなの? それ)

ただ、一平さんも苦しんだんじゃないかなって思うと、しょうがないかなって考えちゃうんじゃな。

相手の立場に立つ必要なんかこれっぽっちもないし、ほんとうはそんなに苦しんでもいなくてどうにかなるとか、いいかげんなこと思っていたかもしれないんだけどさ。

どっちにしろ仕方が無いなって思ってしまう。

本当に酷いことを他人からされたことが無いので、こんな甘っちょろいこと書いてるのかもしれず、そこんとこはどうもすみませんなんじゃけどね。

 

依存症というのは病気の一種で、いろんな依存症があるのじゃが、どれにもなりたくないなあって思わせるものばかりじゃよね。

・薬物、怖え。

・買い物、ううむ、ほどほどならね。

・アル中、これも怖いぞ。

・白飯、ちくわ罹ってる可能性あるな。

そんな中ですうぐ行き詰まるし、友人関係の信頼まで失う恐ろしいものはギャンブル依存症じゃろう。(もちろん他のものもすぐ詰んじゃうんじゃけど、即効性という意味ではこれよね)

 

なぜならば、ギャンブルって儲からないから。

 

競馬歴半世紀(こう書くとすげえな)のちくわが言うのじゃから間違いないぞ。

全然儲からないからな、全然だからな諸君!

すでに春のビッグレース高松宮記念を外しておるしな。しかも今の中京なら内枠の馬だけボックスで買えば当たるんじゃね? などと考えていて実際にそうなったにもかかわらず、外してもうたのじゃ! これは才能じゃな。大いなる才能じゃ!(競馬に詳しくない人に言っとくんだけど、この発言はただの自虐なのでまじで褒めないようにね、泣いちゃうぞ)

賭け事はゼッタイに儲からないのじゃ。

依存症というのはしかし病気なので、そんなことみんな解っていながら止めることはできないんじゃろう。

そこが恐ろしいトコじゃ。

 

さて、半世紀も競馬やってるちくわは依存症じゃないのか? どうなんじゃ?

小倉にお馬さんが来れば一度は足を運ぶし、最後の最後12レースまで帰らないし、たまに勝てば誰かに喋りたくて躁状態だし、負ければショボンとして重い足取りで家へと帰る。

これ、どーなのか。

はっきり言いましょう、依存症ではありません。 

お酒が大好きでも依存症にならない人いますね。

あれと同じなんじゃないか思います。

社会生活はきちんと行えていて、そこから抜けたオフの際に、緩むための手段としてのお酒であったり、ギャンブルだったりというのは、どちらかといえば「趣味」に近いような気がするからじゃ。

なので、そこに費やすお金もたいした額にならないし、どんだけやっても破綻することがない、生活の一部として組み込まれているわけじゃな。

 

とはいうもののじゃ。

ギャンブルというと、まあ人工的に興行するひとつのゲームのカタチなんじゃけれど。

本当のこというと、生きてるだけでこの「ギャンブル」の要素って入ってますよね。

子供をどの学校に通わすかとか、だれと結婚するかとか、どの会社に入るかとか、たとえば家を買うとか、そういうなにか決めごとを決定しなければならない場合って、言い換えると人生を決める賭け事なんじゃよね。

こちらの方もかなり怖いことしてることになる。

その時の自分の判断を後悔してしまうってこともあるよ。

けれども、過去のことを引きずるのはよくないぞ。たとえそれが「若気の至り」だったとしてもじゃ。

それはそれとしてじゃな、いつも未来の方へ眼を向けるべきじゃろう。

たとえこんなポンコツに嫁いでしまった、ギギギ。などとずっと考えてたら、息が詰まっちゃうものね。

たとえポンコツでも良いとこもあるんだよなあ、くらい余裕が無いとダメなんだからね。(あんたさあ、自分の奥さんに言い聞かせてないか?)

わかったね。

 

依存症というのは、脳の快楽物質のシステムの差なんじゃないか、っていう話があって、たぶん間違ってはいないんじゃないかなって思う。人間というのは個人差があるので、普段ならたじろぐほどのことではなくても、何パーセントかの人に関しては大きな影響が出る場合ってありますね。

その時のメンタルの状態とかもあるじゃろうし。

同じもの食べても「辛すぎる」から「甘すぎる」まで感じ方が違うように、一個の刺激に対して「夢のように気持ちイイ!」って感じちゃう人が一部生じるわけじゃ。

それを再び再現したくて依存してしまうことになるわけじゃな、大きな蟻地獄や底なし沼のような感じじゃろうな。

なかなか怖いことじゃけど、そのあいだ中脳内は快楽物質がどっぱどっぱ出てるわけで、どちらかというとそっちのが怖いかも。

だからじゃな、たとえばなんだけど競馬場で思わず大きな声出してる人いるけど、彼らは脳内にすごく幸せ物質出てるのかもしれない。

ちょっとだけ羨ましい気もします(笑)

ちくわは勝っても負けても無言で見てるしな。

 

まあ、当たらなければどうということはない。

 

というシャア少佐の言葉を胸に、次の大阪杯は頑張ろうと思います。(ホントに依存症じゃないの?)

 

ちくわが言っても仕方がないことじゃけど、大谷君の傷が深くないことを祈りたいですじゃ。

 

それではまたー。