ちくわの町のデパートが終わりました。あい、17日。

 

モノゴコロ着いた時にはデパートはあって、そこにはヨソイキを着て、少し気合の入った人たちがじゃね、しやけど実に楽しそうに来てました。みっちり乗った乗客に、「扉が閉まりまあす、ご注意くださいませ~」とエレベータガールの人が、白い手袋を上げます。

わっせわっせとエスカレーターは人の波。

エアコンがあって、いつも快適な温度が保たれてた。

 

ちくわも屋上にあった観覧車やら、メリーゴーラウンドが楽しくてじゃな、好きなとこでしたよ。

たまに祖母が食べさせてくれる最上階にあった大食堂のお子様ランチ。

あれはなんというか、子供だましなんだけど、騙された子供も悪いがなってくらいテンション上がるものでしたよ。(何言ってんのかわからんな)

まだまだ日本も貧乏で周囲にそんなに高い建物もなかったから、すげえ景色良かったし、特別なハレの日感ありありで、妙にコーフンしたものじゃ。

デパート=夢の国 だったのかもじゃな。

 

モノゴコロついた時にはそこにあった。言うてたけれど、ここに開業して62年ってことだから、確かにそうでじゃな、生まれる前から夢の国はここにあったというわけじゃ。

そうかあ、そうだったんだな。

 

しかし、主要な駅のあるトコには大きい小さいはあっても、デパートってあったんじゃよね。

うん、あったあった。

デパートは信用だったのじゃな、ここが扱ってる品物だから間違いない。ここの包装紙に包まれてるからには一級品だ。

みたいなじゃな。

その信用に裏打ちされていたから値段も高くて、しやけどその値段に納得して、人々はそこの品を贖ったわけじゃ。

そんだけ人々に見る目が無かったかというと、そう言うわけでもなくて、手に入る商品やそれについての情報が、とても乏しかったんだと思うの。

実際にわけのわからん物も多かったし、今なら考えられないくらい危険な物も普通に売られてたからのう。

法も整備され、消費者の権利も向上し、商品に対する情報も詳らかになって、デパートの信用は必要なくなった。

企業側もそれなりの努力をして、品質の向上に努めてきたからじゃ。

カテゴリーキラーと言われる専門性の高い大型店がのして来ると、必要では無くなった小さなデパートは早々と店を閉めて行った。

やがてコンビニが幅を利かせ、ネットが発達すると、カテゴリーキラー陣も潰れて行き、デパートは景況判断の消費行動指数からも重きを置かれなくなって、今に至るというわけじゃな。

 

そんで、うちの番がやってきたんだよ。

 

もちろん全部なくなるわけじゃない。

この辺だと小倉に行けばいいし、博多まで行けば阪急も三越もある。どうかしら久留米にはあるのかな?

ともかくじゃ、行きたいと思えば行けるし、たぶんこれからも残って行くに違いない。

だから寂しくなんかないんだからね。

 

とはいうものの、やっぱ寂しいかもしんない。

この街のひとつの時代が終わったってことだしな。

駅前の広大な建物、あれはこれからどうなんだろう。

 

ちくわは新しい夢の国を探しに行かないとならない。

こんもり盛られたケチャップライスに日の丸挿して、「おう、これこれ!」って言いながらはしゃぎたい。

ハンバーグ下のスパゲッティから食べるのがお決まりだったな。

そんでプリンは当然最後にとっておくのじゃ。

あたりまえなのだ。

 

さようなら夢の国、いままでどうもありがとう。

あんたがいなくなると寂しいよ。

ほんとにありがとね。