ネオトニーって言うらしいぞ。幼形成熟。
つまりやね、性的に成熟してるにもかかわらず、幼い部分を残したまんまになってる。 そういうのを指す言葉じゃな。
言葉じゃなとは言ったもんの、なにそれ、なんかいやらしいことなんじゃないの? って思ったあなた、自分の頭をぺしぺしするがいい。
そう言った意味は無い。(たぶんな (笑))
これね、部分であっても全体であっても構わないようじゃな。
完全変態する昆虫は、そもそもネオトニーの要素は無いよね。 変態することこそ成虫に成るということじゃからな。
姿も形も性能も生態も、一切合切幼体とは変わっちゃうでしょ。
しやけど人間は、たしかに体は大きくはなるし、精悍になっていくけれど。二次性徴迎えると男女の違いが更に顕著になり、幼年期から変化しちゃうわけだけど、変態するほど変わらないじゃないですか。(注:変態になる人は一部いるかもじゃけどな)←やめなさいよ。
そういう意味ではネオトニーが残されてると言えるかもしれない。
ところでやね、成熟した猫は割と寡黙らしい。
「めし、ふろ、ねる」昔の日本男児いうのも寡黙で、一日に喋るのはそんだけってこともあったらしいよね。それと同じ。
鳴かない。
成猫は闘うとき、求愛の時、そんだけしか喋らなかったそうなのじゃ。
そうか? って思う。
普通に鳴くよね猫。
こないだ「チコちゃんに叱られる」観てて、このお話がでていたんじゃよ。
「猫が鳴くのは、人間に対して幼形成熟しているから~」(うろ覚えなので、多少違うかもじゃ)
つまり、本来は鳴かない猫がにゃあにゃあ言うのは、子供時代の幼形記憶が戻っているかららしいのじゃな。
母親にお腹が空いたことを知らせる、自分がここに居ることを知らせる、自分が危険な状態に陥ってることを知らせる。
子猫はしょっちゅう鳴いてる。
そうしないと生きていけないからじゃ。
それらの子供時代のサインを再使用してる。
母親に対して行っていたアピールを人間に対して行うことが最善の手段だと気がついたから。
そういうことらしい。
そういえばうちのみやこは鳴かない、給食係のダンテは腹減ると申し立てを行い、たまに強訴にまで及ぶことがあるけど、みやこはそういうのが一切ない。お腹が空いてても何もアピールしない。
彼女は小さいころに見捨てられてしまった子だから。
もしかすると甘えるべき手段を知らないのか、憶えてないのかもしれないなと思うことがある。
鳴かないのでよく踏んずけたり、蹴飛ばしたりしてしまう、猫は足音がしないので、近くに来てることに気がつかないんじゃな。
(甘えられないし、どうしたらいいかは判らないんだけど、ちくわがご飯皿に近づくと貰えるかもしれないとじゃね、背後から忍び寄ってる。実にあぶない)
すまぬ。
いつまで経ってもなつかないし、可愛くないんだけど、不憫に思うことはある。
不器用な子じゃ。
人間も同じだけど、うまく甘えられる人の方が好かれる気がする。彼女の在り様を見てると強くそう思う。
別に媚びろっていってるわけじゃなくてじゃね、どこかで無防備な部分を見せられる人は好かれやすい。
取引先や上司から「おまえバカだろ」って笑いながら言われるくらい打ち解けられるのは才能だなって思う。
こいつのすることだから「しょうがない」って思われたら、それはある意味成功してることになる。
同じミスをしても、扱いが変わったりする。
ネオトニー恐るべしじゃ。
ただね、そういうのが出来ない人もいるのじゃよ。みやこ型の性分。
生きる上でだいぶ損してるとは思う。
けど、逆立ちしたって出来ないんだもん、仕方がないす。
ちくわもこっち型じゃな。
そう言う人たちがいきなり「バブバブ」とか言い出したら、それはもうホラーだし。
「おちっこ」とか「おっぱい」とか言い出しても困る。(まじ困るな)
だからというわけではないけど社会的に責任のある人がしかし、どこかで幼児プレイにハマるというのも、なんか分らなくもない。
(ちくわはここんとこ「わからなくもない」ことが多過ぎじゃと思う)
幻想でも一時的なものでも構わないから、自分を庇護してくれる者のことを思い出し、懐かしみたいのじゃろうと思う。
こないだスーパーで「ちくわ、納豆が食べたいですう!」って、隣にいた見ず知らずの人に提案してしまったす。
妻に言ったつもりじゃった。
しかし、隣に居るとばかり思っていた妻は、遠くヨーグルト売り場にいましたとさ。
やってもうたあ~~。
見ず知らずの人は、はっとした顔をしたのじゃが、やがて無関心を装って離れていきました。
気まずい。気まずいわあ。
国産納豆二個を両手に鷲掴みにし、そそくさとその場を離れたのはいうまでもありません。
ネオトニー恐るべし!
知らない人にネオトニーするのは法律で禁じられています。