向田邦子さんがじゃな、ドラマ見てて気になってしまうところがあるのじゃと、エッセイの中で言われてたんじゃな。

 

女が怒る。

「あなたなんか大嫌っきらいよ」言いながら、物を投げる。

グラスやら食器やら花瓶やら壊す、そして扉をバタンと閉めて出ていく。「最低!」とか言い残して。

 

向田さんは思うのじゃな、「あのあとを誰が片付けるんだろう」。

わたしは小心者なので、ついついそちらに目が行ってしまう。

 

良い人だなって思う。

なにかしてしまったとき、しかし、誰かがそのあとのことしなきゃなんない。

後片付けは必ず必要じゃな。

ガラスの割れたあとなんか、すごく大変だもんね。ちくわも小心者。

 

そんなこと考えてたらなんにもできない(笑)

物に当たることも、なにかを壊すことも、怒りを表現することも。

 

けどね、そういう小市民的なことって、とても大事なことじゃと思うのじゃ。

怒りにまかせて叩きつけたスマホとか、折られた携帯電話とか、ひっくり返されたちゃぶ台とかね。(最後のは一徹の仕業かな)

覆水は盆に還らない。

そう思うからできない。

踏みとどまってしまう。

気持ちよく物を壊して、啖呵を切って、誰かを傷つけて、自分だけその場から立ち去るなんてできない。まあ、気持ちは良いだろうけど。

ええ、その時はね。

 

あ、でもね、自分に腹立てて、自分の部屋滅茶苦茶にして、あとで自分で片付けるとき「馬鹿なことしたなあ」って、そういうのはアリかな。(笑)

それはどうかしたら自らの戒めになるものね。

(恥ずかしいことだけど、ちくわ、怒りが堪え切れなくて部屋の壁に穴開けたことあります。殴ったら、穴空いたす。壁が薄かったんじゃね(´;ω;`)、ええ、今も残ってますとも、若気のアンってことじゃな。←間違ってんぞ)

 

アメリカって暴動がお祭りみたいなとこあるね。そうじゃないよって人もいるかもだけど、ちくわにはそう見えてしまう。

なんらかのキッカケはあるんだろうけど、そんなのと関係ないカタチでお祭りは広がる。

投げて、騒いで、燃やして、壊して、盗んで、最高! みたいなお祭り。

それがときどき起こる。

映像見てるとみんなすごく楽しんでるみたいに見えるよ。

目がキラキラしてるし、頬が赤くなって鼻が広がってる。

もっとやれ!もっとだ!それだけか!足りねえ!全然足りねえよ! 誰もがそう思ってる気がする。

なんだお巡り。お前なんか怖かねえぞ、かかってきやがれ、この意気地なしめ!

欲望やら歓喜やら、興奮やら狂気やらが渦巻いている。

お祭りは無礼講、楽しんだものの勝ち。

やっちゃえ、やっちゃえ、やっちゃえよ。

そんな空気を感じる。

 

そんで、じゃあ、後片付けは?

 

誰がするの?

たとえば、現場でそんな空気を、実際に目の当たりにしても、ちくわは楽しめない。

全然楽しめない。

お祭りを楽しめないんじゃな。

後片付けのことが気になっちゃう、燃やされた自動車の持ち主のことを思う。盗まれた商店のことを思う。割られたガラスのことを思う。殴られたり蹴られたりした人のことを思う。荒れ果てた街のことを思う。ひとの怖さを感じる。

 

怖くて震えてる人たちのことを思う。

 

 

 

 

なにかを誰かのせいにするのはやめよう。

そう思う。

孤独や貧乏や差別は確かに恐ろしいものだけど、その中からでも明るい方へと進むことはできるはずじゃ。

政治のせいだ環境のせいだ親のせいだ社会のせいだ、言ってても始まらない。

一歩でも自分の足で前に進もう。

不満を忘れろって言ってるのではない。覚えていたって全然良い。

悔しがっていい、泣いたっていい。

それでも歩こう。

明るい方へ。

明るい方へ。

 

 

 

 

 

やだわ。

なんか別の人が書いてないですか、このブログ。(´・ω`・)

こっくりさん?

マジっぽくて全然イケてない気がすんだけど。

(〃ノωノ)

けど、たまにはいいか。

 

ねっ、いいことにしよ?

 

そうそう今回暴動の発端になった事件に関しては敢えて書いてない。

それについては言語道断だと思っているからだ。また、詳しい経緯を知らないのでコメントしにくいってとこもあるな。

なのでじゃ、そこんとこ勘違いしないで欲しいのじゃ。

ちくわは暴動や略奪を非難してる。

けれど元になった事件をないがしろにしてるわけじゃないってこと。

気になったので念のために書いとくす。

コロナも同じだけど、お祭り、終わってたらいいね。