ちゃんちゃちゃちゃんちゃちゃ♪ ちゃんちゃちゃちゃ♪

じ~んせい楽ありゃく~もあるさ~ぁ♪

 

こんにちは越後の縮緬問屋の隠居とかではなく、筑前の隠居前のちくわでございますじゃ。

暇で暇で仕方がないので、いろんなこと考えています。

しかしそうやって考えてばかりいますと、性格的に暗い方に行きがちなのでじゃな、深くまで行かずに済む、幼児用プールくらい(くるぶしまでの水たまり)で泳ごう。そう心に誓う今日この頃なのでした。

 

いつもつまんないブログ御贔屓にしていただいて、ほんとどうもすいません。(林家三平風に)

 

ちくわは「ちりめん問屋」と聞くたびに、小魚の干したもの扱う問屋なのだと想像していました。

なのでじゃな、新潟あたりには海鮮問屋多いのだと(しかも豪商)、子供ながらにイメージが付いちゃったんじゃよね。

「いつかそういうの見に行きたい!」などとじゃな。

罪深いものじゃな水戸黄門。(とはいうものの、まだ「ちりめん」がなんなのかよく分かってはいなかったりする)

 

最近は時代劇少なくなっちゃって、民放とかではやってないんじゃなかろうか。

カツラやら衣装やら、揃えるの大変そうなのでやね、もしかしたらもう出来ないかもしんないね。保管するのって大変そうじゃもの。

一回辞めちゃうと取り戻せないものってあるじゃんね。

そんなわけで「麒麟が来る」だったか、楽しんで観ています♪ 続編の「札幌も来た」とかも出来たらいいなあ。(ビールじゃないし)

 

ただ、あれは衣装が派手過ぎてじゃな、なんかこうインチキ韓流時代劇っぽいのが難点かもな、などと個人的には思っていますじゃ。

でもまあ、面白くはあるけどね♪

しかしあれもコロナの影響で、ロケが進んでないみたいじゃな。

もう続けられないらしい。

エリカ様のリタイアに続いて、いろいろと困難が待ち構えているのは、明智光秀っぽくて可哀想かもじゃな。

 

話を黄門さまに戻します。

知らない人はおるまいなとは思うのじゃが、考えてみたら既にジェネレーションギャップ生まれててもおかしくない案件なので、少しだけ説明するとじゃな。

水戸黄門というのは徳川光圀という、茨城県は水戸藩に実在していた人物で、大日本史編纂したりした人でじゃな、幕末に繋がる勤皇の水戸学の基礎築いた人なのでした。

徳川御三家というのは尾張・紀州・水戸を差すわけなんだけれど、江戸に一番近く、参勤交代も免除されてた水戸藩は、自分を特別なのだと考える様になるんじゃな。

なので「副将軍」という、ありもしない格式を信じてしまった可能性はありますな。

 

しやけど、このお話の核になってる水戸黄門漫遊記というのは、講談あたりで使われたまるっきりのフィクションなんじゃな。

 

なのでじゃな、風車のなんとかとか、うっかりなんとかとか、入浴シーンが話題のなんとかなどは実在しない人物であったのでした。

そんなの知ってるよって言われそうだけど。

 

ちくわは爺ちゃんが好きだったのでじゃね、この番組を幼少のころから見てたす。

そんでいつも疑問に思うことがあったんじゃよ。

あのね、「黄門さんって、どうして最初から印籠出さないの?」ってことじゃな。

そうすればやね、大体の場合簡単に話がついちゃうんじゃね?

だって、悪いことばかりしてる代官見つけたら、それ見せて「こらっ!」って言うだけで済むじゃんねえ。

なんでそうしないの?

なんか理由があるの?

 

ちくわは抜きんでて聡いお子ではなかったわけでじゃな、そうするとやね、同じように思ってる少年少女が全国にいっぱい居たんじゃなかろうかね。

なぜなのかしらね? そう考えていて「そうか、そうしないとお話になんないからなんじゃ・・・・・・・・?」と、思いつくまでにしばらく掛かっちゃったわけだけどさ(聡くは無いからな)、もっと賢い子はもっと早く分かったはずじゃ。

しかしやね、これ半分は当たりなんだけれど、もう少しいろいろあってじゃな、やがて「どうもこの『形式』を踏むことで、見る側は安心して見られるのじゃなかろうか」ってことに気がつくのじゃな。

目から鱗でした。

何度も書くけど、抜きんでて聡くはないちくわ少年が、それに気づいてハタと膝を打ってじゃな、「そおおぉかぁぁぁ、すぉうだったのかぁぁあ」なんか思ってるときには、もう「マンネリ化の美学」みたいな評論とかあったんだと思うけどね。

 

こうしてこうすりゃこうなることを、知っててこうしてこうなった。

 

という都都逸だかがありまして、これって「わかっちゃいるけどやめられない」ってスーダラ節に通じるモノあるよなあって感心すんだけど、なんかこれじゃん、将にこれじゃんって思ったよ。

筋書きがすべて見る側に知られていて、それをお約束として白々しく物語は進む。

そうなると、エピソードのひとつひとつが裏返して見えるわけじゃ。

悪い人の行うすべてのことが、やがて詳らかに露見するであろうし、善人の行いはすべて良いように解決していくであろうことがじゃね、「約束」されてんのじゃよね。

そうして溜めれば溜める程、じらしちゃえばじらすほどに、印籠の価値は上がって行き、最大の効果を狙ってそれは行使される=カタルシスが生まれ、やんやの喝采とともに大円団となる。

 

これは使える!

というか使わな損じゃな。

溜めるだけ溜めて放出。

考えてみたらやね、あの名作「ローマの休日」とかもそうじゃんね。鎮静剤打たれた王女が流れ流れて行きつく先で、各種のイベントが発生するし、それを分かってる新聞記者の気持ちさえ、見てる側は全部分かって見てる。

舞台裏全部見せてからの物語じゃんね。

全ての事柄は公開されていて、それだから安心しつつ見られる。

こういう形式の物語って、探してみたら案外あるかも。

 

安心小説!

ミステリー系とは真逆じゃな。

 

ちょっとちくわも書いてみたい気がするす。こういうの。

わくわく。

 

というか、帯を引っ張って「あれ~~~^っ」っていうのは男の夢かもな、などと別のこと考えちゃったりもする(笑)

すまんけど、帯はあんなに長くはないけどね。

「そうなんだ」知った時、ちょっとがっかりした(笑)

それ用のやつも作ってくんないかなあ。

 

今回はちょっと小説っぽい話だったかも♪(そうか?)