ごめん。
もうね、小説とまったく関係ない話するわ。
(なんだその開き直った態度は)
このまま行くと「あんたはこのカテに相応しくないから、日記のとこに飛ばすわあ。じゃあね。by Ameba」ってことになりゃせんかと、ちょっと心配。
でも書くけど(笑)
あのね、うちの近所に廃船をスクラップにするとこがあんのよ。
市に横たわる湾の、どんつきくらいにある工場。
ある日そこの海に見慣れない船がやってくる。ああ、ご新規さんだと思う。
しょぼくれた感じでそのまま何日か浮いてる。
錆が出てたり、塗装が剥げてたり、これでよく浮いてるなって感じのものも来るす。
そしてそれはやがて船台に斜めに引き上げられてて、それからは通るたびに短くなっていくんじゃよ。
船首からどんどんと崩されて、無くなっていく。
カマキリに食べられる虫みたいにじゃな。
ここは役目を終えた船の墓場なんじゃね。
だからもう、年季を積んだ傷んだ船ばかりがやってくる。
けどね、海上保安庁やら海上自衛隊の船はちょっと感じが違う。
全然しょぼくれてなんかないの。
どういえばいいのかな、パリッとしてんじゃよ。
杖を突きながらやっとたどり着いた、って風情が民間の船だとしたらじゃな、まだばりばりの現役サラリーマンみたいなの。
スーツ着て頭7:3みたいなじゃな。
「えっ、あんた、まだ働けるよねえ」って、そういう人が(人じゃないけど)ある日浮かんでる。
保安庁の船は白地に青いタスキが入ってて、自衛艦は灰色の落ち着いた船体で。
通常の仕事に使われるものと違うわけなのでじゃな、確かにカタチが違う、マストの張り出しやらレーダーなどの上部構造物が独特だから、余計にそう見えるのかもしれないけれど、今しがた作られてドックから出てきたばかりみたいに立派に見えるんじゃよ。
最期だからって、念入りに掃除してもらって送り出されてるのかもじゃ。
それが、やっぱり同じように、ある日船台に引き上げられる。船首を空に向けたカタチで。
それはなんだか、ちょっぴり悲しい風景ではあるのじゃな。
そうそう、そんでじゃ。
こないだ見たことのない艦種がやって来ててじゃな。
船体はグレーなので、間違いなく自衛隊所属なんだけれど、艦の中央部がポッカリ開いてて、けれど屋根のように上部構造物はあってじゃな、それは艦橋から伸びて続いてる、艦後方はヘリコプターデッキになってるよ。
他の護衛艦と同じようにレーダー類は付いてるけど武装は見当たらない。妙なカタチの船じゃな。
「なんだこれ?」
そう思って調べたら「潜水艦救難艦」だったよ。
真ん中の空いてるスペースには小型の水難救助潜水艦が載ってるんじゃな。そんで屋根のように見えるのはウィンチで、どうも船体の真ん中にプールみたいに穴が開いてて、そのまま小型潜水艦を海に降ろせるようなの。
すごい変!
おおおおおおっ! レアものじゃ! ちくわ、もうね、はわはわしちゃったじょ。
潜水艦の事故というのは、稀に起きることではあるのじゃけれど、まあ、ほとんど助からないのな。
なんせ水の中で起きることだし、たとえそれが浅い場所であってもじゃな、ハッチ開けたりとかできないでそ。
乗員が生きててもどうすることもできない。
それを救えるのがこの潜水艦救助艦~!(ここ、ドラえも〇の声でお願いします)
たぶん、世界的に見てもそうそうあるものじゃないと思うす。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ちよだ_(潜水艦救難母艦)
あたらしい艦が就航したので、古い方が廃艦になったんじゃろうね。
名前は「ちよだ」。
潜水艦の事故というと古い話だけど佐久間艇長の事故が有名で、なんで有名なのかというと、閉じ込められて出られないまま、死が訪れるまで事故の原因やら、艦の回復のためにやったことなど、細かく書き留めていたからじゃな。すげえ精神力じゃよね。
未だに外国の潜水艦のテキストに出てくる事例なのじゃとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/佐久間勉
ちくわは閉所恐怖症で、しかも年齢が上がるにつれ、それがひどくなってんので、潜水艦なんてぜったーいに乗れない。
見学くらいならできるかもだけど、それに乗って海に沈むとかまず無理じゃな。
こっそりここから出ようとして、船を危険にさらすでしょう。(そういえば窓を開けようとして、非常用ハッチを開けおったあっぱれな中国人がいたなあ、飛行機でだけど)
いや、それはまあ置いとくとしてじゃね。
この「ちよだ」って、たぶん一回もその任務についてないよね。
廃船になるまで、一度も潜水艦の救難とかしていないと思う。なぜなら事故そのものが起こらなかったからじゃ。
ただ、そうだとしたら、ここに運ばれてくる自衛艦も一度だって使われてないんじゃな。(訓練とか表敬訪問とかは除く)
敵に対して武器を使用したことないわけじゃ。
「百年兵を養うは、ただ平和を護る為である」というのは山本五十六の言葉じゃけれど、孫子の「百戦百勝は善の善なる者に非ず」に通じているのじゃと思う。
使わないことが一番なのだ。ってことじゃな。
んだども、使わないのが一番いいのだけれど、だから無くてもいいというわけじゃないんじゃな。
存在することで、使わなくて良い状況を作り上げてるわけだからね。
アビガン200万人分の備蓄って誰が決めたんだろう。神の一手じゃんね。 って以前書いたことありますけろ。
これだって同じじゃと思う。
万一のエボラウイルスに備えて備蓄されていたものが、こんな時に役に立つなんて。(コロナの場合、多く使わなきゃなので、この量は70万人分ってことになるらしいよ)
なんて運がいいのかしらね。
神は自ら助くる者を助く。
こういう兵器関係の記事って、興味ない人が多いみたいでじゃな。訪問人数ががたんと減るのじゃったよ。
すごく人気無いのわかってるんだけど、趣味は外せないわな(⌒▽⌒)。