ここに来るような方は「異邦人」って言えばアルベール・カミュのあれかあって思うのじゃろうな。
いや、実はそうじゃないんだけど、そういうことにしとこう(笑)小説トピだもの。
「きょう、ママンが死んだ」で始まる、なんて言えばいいんだろう、ええと、なんて言えばいいのかしら、なんかこうもやもや感満載の、どうにもこうにも不思議なお話。
ちくわは若いころに読んでるのでじゃな、今読むともう少し理解度が進むように思うのだけど。
それでも分からんなりに読んでじゃな、これほど記憶に残ってる小説も無いかな。
だからじゃね、その時読んでてよかったんじゃないかって思う。
ただし、その時代の背景とか、その場所(アルジェリア)、書かれた時の作者の思考とか、そういうの一切忖度もしなければ、一顧だにできないわけなので、「外国の小説は分かんねえことだらけだな」くらいの感じで読み終えてるのじゃ。
きっとね。
けど、それで良かったんじゃろうよ。そのときは。
不条理といえばじゃな、もうひとつのお手軽小説(中坊が手に取りやすいという意味でじゃ)のカフカの「変身」がありますね。
ちくわとしては、こちらのが取っつきやすかった記憶があります。
襲ってくる不条理が具体的で分かり易く、やはり海外の作品でありながら場面が想像しやすかったんじゃろうよ。
わかりやすい!
家を背負って真面目に働いていた人が、ある日会社に行けなくなって引きこもりになっちゃう。って現代でもありそうじゃしな。
(いえ、毒虫になっちゃったりはしないだろうけれどさ)
なんで自分がこんなんなっちゃったんだろうという不運さやら、取り返すことのできない現実とかもありーの、どんどん家族の荷物になっちゃう主人公のザムザ君、家族からの扱いも次第に悪くなっちゃって、リンゴぶつけられたりしちゃう。
けれど、そういうのもあるだろうなって、中学生でも想像できちゃう流れで、なんかしらんけれど「何か」を掴んだ気にさせる。
こう書くとじゃな、あれ? やっぱりすげえ話だったんじゃね? これ? とか改めて思ったりして(笑)
さてさて、カミュに戻るけどね、こっちはそういう意味ではめっさ判り難い。
ママンが死んで、ちょっとした成り行きで人を射殺してしまう、裁判にかけられるんだけど主人公はもうどうでもよくて、いや「太陽がまぶしかったから」殺したし、などと答えてしまってじゃな、この野郎!反省の色無いし極刑だねこのケースみたいになっちゃう。
世間に迎合しないというか、もうまったく反抗してる拗ねた子供みたいな主人公の気持ちに全然寄り添えない。
なんで、あんたはそうなのよ、いつもいつもっ! みたいに知り合いのおばさんなら怒るに違いない。
でも、あのね。
もしかすると「なんでもないこと」のように装っていたけれど、「ママンの死」というのは彼に凄い影響を与えたかもしれない。
ただそれを表に出す感情に欠けてただけなのかも。
誰かが死んで悲しい。 だから泣く。 悲しい=泣く というのは、必ずそうなのだというわけではない。
必要条件だが十分条件ではない。
どうして悲しいから泣かなきゃいけないのだろう。
小説書くとじゃな「そんなやつおらんやろう」って言われることはまま有るのす。
そんな人いない、そんなことする人いないよ。 よく言われる。
それはそういう人を描いてしまったこちら側に責任のある場合もあるんだけどね。
しかし、ほんとに居ないとどうして断言するのか、それが分からないときもあるんじゃよ。 ええ、まじに。
あなたはどうしてそんなに自信満々に「居ない」って言えるのか? 問いただしたくなることもあるす。
異邦人の主人公の名前は忘れちゃった(笑) けれど、そう考えたりするとこの判り難く虚無的で、反抗と無政府主義的な彼のことが少し解るような気になったりもしますね。
これも再読する時期なのかもしんない。
不条理っていえば、洪水落雷地震とかの災害やら務める会社の倒産とか、とにかく個人に降りかかる厄災のことじゃんね。
このコロナ禍も(これをコロナ渦って書いて、謝ってた新聞社があったけど、どう変換したらそうなんの?)そのものじゃん。
いまや彼の本読まなくてどうするよって感じになってませんか?
さて、最初にカミュの異邦人じゃなくて。って書いた。
本当は久保田早紀の「異邦人」のことを書こうと思っていたのでした。
えっと、40年前? そんなになりますかね。
ちくわ妻がいまねエレカシの宮本浩次さんにハマってて、テレビで録画したのとか見せられる、いや、見せていただくんだけどね。
あのガニ股でいきんで歌う「冬の花」を見せられて、いや、見せていただいてるうちにじゃな、不思議なことにこの歌のことが頭に浮かんだ。
言っとくけど「冬の花」と「異邦人」は全然似てない。(暇な人はチェックしてもいいぞ)
一応貼っとく。(親切じゃろ (笑))
音楽的になんかあるかもだけど、まあ、それは良いわいな。 とにかくちくわはそうなっちゃったんじゃよ。ふいに異邦人の出だしが降りてきた。
けどさ久保田早紀なんか若い読者の人は知らないのじゃろうなと、しみじみと思ったね。
ほぼこの曲しか売れなかったし、すぐにどこかに行っちゃったしな。
ちくわが大阪に居た頃、近所の教会の手書きのチラシに「久保田早紀さん来る」って書いてあってさ、とてもびっくりしたことあります。
それさえもどうだろ、もう30年くらい前のことじゃな。
「よかったらちくわ君も来ない? 歌も歌ってくれるそうだし」って言われた。
ただ、なんか教会、に、行くのがためらわれてじゃな(ちくわは妖怪かよ)、行かなかったんだけど、それをいま後悔してるのじゃった。
聴いてみたかったな、生歌で。
それにクリスチャンになってたかもしれんしな。(いやいやいや)
ウイキで見たらいまは「久米小百合」として活動してるんだってね。教会で歌うというのも間違いじゃなかったのも分かった。
どうも今年の6月に大掛かりなコンサートが予定されてるようだけど、できるのかしら。
もしもやるならば、ちょっと行きたい気がする。
あんときいけなかったから。
ちくわはもう十字架怖くないしな。(なんで?)
「異邦人」は「白い朝」というタイトルだったそうな。
そのままでも売れただろうか?