千恵子さん、お昼ごはんはまだかいの~~。お腹が空いたんじゃけど。 あら、おじいちゃん、さっき食べたばかりでしょ。そうだったかいのう、そういえばお腹いっぱいじゃ。

 

などとやね、言いだしかねない。このままでは。

最近びっくりするくらい、すぐに忘れてしまうのじゃな。鶏みたいに。(鶏って三歩あるいたら忘れるっていうけど、誰が調べたんやろ)

晩御飯の買い物して冷蔵庫にしまおうとしたら、そこに同じものがあるではありませんか。

わわわ、そうか、そういえば。

前の日に買った、確かに、同じ目的で。

 

ちょっと半分くらいまじで怖いんだけど(笑)

 

でもね、ちくわはまだ(きっと)大丈夫なのでじゃな、今回はそういうお話ではないのじゃ。

 

あのね、あのね、毎日生きてるとさ、常になにか考えているよね。

いくらボーッと生きてたにしてもじゃ。

なんか考えてる。

でもじゃ、それって生まれては消えていくものじゃ。よどみに浮かぶうたかたってことじゃよね、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしはないのであった。

そう、人間はいつも何か考えている。

考えているのだけれど、長くは憶えていない。

それはつまり留めておくほどの価値がないと判断されているからなのじゃろう。

 

けどさ、本当にそうなのかな?

 

本当はすげえこと考えついたのに、忘れてしまってないかい? そういうことありそうじゃ。

 

ということでやね、なにか思いついたらメモしておこうって、手帳を買いましたがな。

したらそれを忘れてきてるOrz。

ペンはあったので手に書いたんじゃけど、簡潔にまとめ過ぎててなに書いてあるかナゾOrz。手は手であって、手帳にはなれないのであったよ。(書けるとこ少ないし、ページめくれないし、左手にしか書けないし、なによりちょっとカッコ悪い)

 

そうそう枕元にもノートが置かれてる。

夢の中で小説の種なんか出たらすうぐにメモしておけるようにじゃ。

朝起きたらメモがあって、おお、そういえば面白い夢見たのじゃった! どんなのだったっけ、わくわく。 って読んでみるも解読不能Orz。

 

無駄なのか?

忘れないように書いておくというのは無駄なのか?

 

いいや、無駄であるはずがあろうか。=無駄ではない。 ということをやね、ブログも兼ねて実践中なのよ、ここって。

実際にじゃね、まだ数か月しか続けてないにもかかわらずじゃ、自分の過去記事見たら他人のものみたいなんだもん。

へえへえ、そんなこと考えていたんだあ。 って今ではすっかり忘れてるので、読んで面白い。儲かったような気がするす。

(決して儲かってはいないのじゃが)

長く書いてる日記とかも、同じようなものかもしれんのだけど、ここに書いてる分はじゃね、一応公開するカタチを採ってるので、余計に他人臭がするのかもしんないす。

日記だとさ、内省的なことを院隠滅滅って書くばかりになろうからのう。

そんなの誰も読むまいし、それどころか自分も読まんじゃろうな。結婚式のビデオくらい見ないよね。(いや、みんなもしかして見てるのかな)

 

そういうわけで、ここは忘備録的な機能を兼ね備えているんじゃよってことじゃ。

 

なので、運用する前は一週間に一回、月に4回書けたらいいな。思っていたのじゃが、意外にも早く書けてるという。

そしてこれもまた意外じゃけど、読んでくれる人もいるんじゃな。ありがたいことじゃ。

多分な駄文なのにじゃ、かたじけない。

 

 

ところでじゃね、いろんな人の作品とか読むとじゃね(アマチュアでもプロでも)、いろいろと書かれてるわけなんだけれど、根幹みたいなものって案外変わらないなあって感じることが多い。

作品としてはバラエティーに富んでいても、本質的なことは変わらない。そう思う。

これってたとえば同じミュージシャンの曲が、どれ聴いても同じにしか聞こえなかったりすることに似てるのかもしれない。

それって変わらなくてもいいものかもしれないんだけど、こだわりの範囲が狭すぎたり、浅すぎたりすると、本人も込みで苦しくなっちゃうんじゃないかな。またこれかよう、って思ったりしないかな。

実際にじゃね、呪いのようにひとつの作品しか書けない人も居ますね。

閉じられた世界に居るみたいにじゃ。

越えられたら楽になるのになあ。

そういう風に踏み越えれないサークルがあるならば、せめて少しでも広いエリアにしたい。

とはいえ、前に書いたように忘れやすくなってるのでじゃね、そうやって広げてるつもりが、後ろの方がじわじわ狭まってたりする。

「志村後ろ、後ろ!」状態。

出来るだけ忘れずに、忘れるよりも早く、そうして柔軟に、なにかに拘泥することなく、自由に書いていけたらいいね。

視野を高く保って、公平な目で回りを見回すと良いと思う。

できたらどの岸にも近すぎない場所、池で言えば真ん中に漕ぎ出して、だいたいここら辺かなってトコに錨を放り込みたい。

そして、興味があれば錨をあげて、そちらに近づいてみたらいいのじゃ。

帰ってくることを忘れずに。

 

 

 

 

歳をとるのはステキなことです、そうじゃないですか。 中島みゆきも歌ってますな。

 

悲しい記憶の数ばかり、飽和の量より増えたなら、忘れるよりほかないじゃありませんか。♬

 

やっぱり彼女は天才じゃな。

しかし、悲しいことは糖衣で包まれ忘れられて、楽しいことばかりが鮮明に何度でもよみがえる。

老人支援施設とかで感じるのは、元気な人は概ね、そうなってるんじゃないかって。

知らないうちに。

そう生きていく方が良かろうな、実のとこ。

 

なのでじゃな、悲しいことは忘れてしまいましょう。さあさあ。

 

ところでお昼はまだですか?(それ、悲しいことなんか?)

 

 

我が家の二番目の子、みやこ、目が悪いのでしょっちゅうキョロキョロしてるし、音がすると逃げちゃうので写真撮りにくい。

北海道のナキウサギくらい獲れない。

これもブレてるけど(笑)そんなわけでしょうがないんですじゃ。と言い訳しとく。