今年も「映画館」で映画を観ることの贅沢さをより痛感しました。

加齢による知力と体力の衰えは否定しようがなく、

また公私ともに騒がしく、

映画館で過ごす時間を捻出しずらくなってきました。

かろうじて映画館で150本、

隙間を埋めるようにその倍くらいは配信で観ていますが、

記録ノートなしでは、数か月前でも

到底振り返りが困難なほど過ぎ去っていく作品たち。

その中からのベスト10。

パク・チャヌクは、新作公開なら自動的に1位決定の殿堂入りなので確定。

それ以外の順位は文字を凝視するたびに、ゆらゆらと変動するので割と適当です。

 

余談ですが、まだ作品を観てないけど、

2024年はヨルゴス・ランティモス/エマ・ストーン「哀れなるものたち」

で確定済みなのは仕方がないです。

 

1「別れる決心」

2「TAR」

3「THE KLILLER」

4「パール」

5「ウーマン・トーキング」

6「アフターサン」

7「サタデーフィクション」

8「PHANTOM ユリヨンと呼ばれたスパイ」

9「ダンサーインParis」

10「春画先生」

 

プラスおまけの20本。

 

◎「あしたの少女」

◎「すべてうまくいきますように」

◎「枯れ葉」

◎「対峙」

◎「エドワード・ヤンの恋愛時代」

◎「セールスガールの考現学」

◎「オマージュ」

◎「幻滅」

◎「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」

◎「アシスタント」

◎「VORTEX」

◎「ポトフ 美食家と料理人」

◎「理想郷」

◎「バービー」

◎「私の嫌いな弟へ ブラザー&シスター」

◎「青いカフタンの仕立て屋」

◎「午前4時にパリの夜は明ける」

◎「聖地には蜘蛛が巣を張る」

◎「ガールピクチャー」

◎「マエストロ」

 

やはり映画は女優です。

昨今のコンプライアンスやフェミニズム視点では、

女優という分類すらmale gazeと非難されそうですが、

男性の欲望対象としての女優というより、

女性視線とシンクロして、物語への没入することを望みます。

作品のほとんどが、ベクトルを持つ女性の物語です。

 

 

2022年のベスト映画です。

加齢と共に記憶が衰え、

ますます映画体験の一期一会感を痛感しています。

作品を大量に繰り返して楽しむことは可能でも、

その瞬間に何を感じるかが全てであり、

全ては直ぐに失われてゆきます。

記録してはありますが、1年経過して既に記憶の怪しい作品も多いですね。

こぼれ落ちる断片を意図的に再構築したのが以下の作品です。

 

昨今、どうしても劇場よりも配信での体験が多く、鑑賞法の区別はしてません。

基本洋画中心の偏愛です。

 

【2022年ベスト10】 

順位は余り信憑性がないのですが、

鮮度と女性による映画を重視してます。

まあ、ほぼ順不同なんですけどね。

 

1「あのこと」

2「TITANE」

3「ベルイマン島にて」

4「パリ、13区」

5「X」

6「NOPE」

7「リコリス・ピザ」

8「MEMORIA」

9「カモンカモン」

10「フレンチディスパッチ」

 


以下の15本は順不同の次点で、合計ベスト25本です。

 

★「私は最悪。」

★「三姉妹」

★「セイント・フランシス」

★「ドント・ウォーリー・ダーリン」

★「ザ・メニュー」

★「彼女のいない部屋」

★「スペンサー」

★「秘密の森、その向こう」

★「バルド、偽りの記録と一握りの真実」

★「私は最悪。」

★「聖なる証」

★「ストーリー・オブ・マイ・ワイフ」

★「グリーンナイト」

★「アメリカから来た少女/アメリカン・ガール」

★「ホワイト・ノイズ」

 

配信や特集上映など、旧作で印象的な10本。

アケルマンは強烈でした。

まだ観れていない特集上映の2作品は2023年の宿題です。

女性による映画がやっぱり多いですね。

男性である自分が心地よい作品よりも、

不愉快で居心地の悪い作品を好みます。

映画の後味が悪く、

自分の標準装備されている男性性を否定されたがっています。

 

 

「私、あなた、彼、彼女」

「オルメイヤーの阿房宮」

「恋するアナイス」

「アッテンバーグ」

「わたしたち」

「わたしたちの家」

「サングレイ、17歳の夏。」

「アワ・ボディ」

「小公女」

「さよなら、私のロンリー」

 

補足で、邦画を順不同で5本。

 

「ケイコ 目を澄ませて」

「愛なのに」

「こちらあみ子」

「ある男」

「さかなのこ」

 

最後に「トップガンマーヴェリック」は、(格好つけて)はずしている感じがありますね。

 

 

こちらは2021年にみた【洋画】のベスト20本。

順不同ですが、

前半は自分の中に潜む男性性の居心地の悪さを

隠しテーマに選出しました。隠してないか?
元旦に観た「Swallow」が強烈で今も忘れられません。

この一本で2021年は舵取りされた感じがします。

映画『スワロウSwallow』ネタバレ感想と結末までのあらすじ ...

★Swallow

★プロミシング・ヤング・ウーマン

★ペトルーニャの祝福を

★パワー・オブ・ザ・ドッグ

★ラストナイト・イン・ソーホー

★最後の決闘裁判

★トムボーイ

★野球少女

★TOVE

★サウンド・オブ・メタル

★ドント・ルック・アップ

★DUNE 砂の惑星

★モーリタニアン 黒塗りの記録

★マリグナント

★わたしの叔父さん

★アメリカン・ユートピア

★藁にもすがる獣たち

★アメイジング・グレイス

★恋の病

★サマー・オブ・ソウル

 

選外ですが、印象的な次点作品を15本………

 

◎アンテベラム

◎1秒先の彼女

◎悪なき殺人

◎ライトハウス

◎イン・ザ・ハイツ

◎ノマドランド

◎この世界に残されて

◎KCIA 南山の部長たち 

◎007ノー・タイム・トウ・ダイ

◎チャンシルさんには福が多いね

◎マルコム&マリー

◎この茫漠たる荒野で

◎ファーザー

◎あの夜、マイアミで

◎モンタナの目撃者 

 

2021年に観た邦画のベスト10です。

 

1 偶然と想像

2 あのこは貴族

3ドライブ・マイ・カー

4 いとみち

5 アジアの天使

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6 すばらしき世界

7子供はわかってあげない

8 猿楽町で会いましょう

9 コントラ

10 由宇子の天秤


次点として2本

花束みたいな恋をした

シン・エヴァンゲリオン 劇場版

 

あくまでも個人的なベスト映画の選出なので、

ルールもへったくれもないのですが、

線引きのためにいろいろ考えてみました。

 

まず2020年度は映画館で177本、

配信やレンタルなど、劇場以外の手段でだいたい同じ本数を観ました。

流石に前の年と比べて、減っています。

リバイバルや再鑑賞もあるので、

純粋に公開年度の新作のみではないのですが、

だいたい集計の母数はこんな感じです。

劇場か配信かは問わずに、これら全てから選んでいます。

 

主戦場が洋画なので本数の差がありますが、便宜上邦画と洋画は分けました。

鑑賞と公開が年度をまたいだ2本は別枠でベスト作品扱いです。

 

「街の上で」 ※2020年1月鑑賞/2021年公開予定

「パラサイト半地下の家族」※2019年12月鑑賞/2020年公開

 


ということでまずは邦画部門からどうぞ。

 

【邦画】ベスト5

①    「スパイの妻」 ミニマムで緻密な構成が映画的快感

②    「罪の声」 見事な脚本と役者のアンサンブルの積み重ね

③    「私をくいとめて」 のんの瞬発力が高い暴走的な自意識が最高

④    「窮鼠はチーズの夢を見る」 男女関係ない半径数メートルの人への執着が愛

⑤    「君が世界のはじまり」 中田青渚関西弁がツボな「リンダリンダ」の変奏曲 

 

【邦画次点】順不同

★「本気のしるし 劇場版」 男女が鏡像になって、繰り返される依存と執着の業の深さ

★「おろかもの」 「リップヴァンウィンクル」を思わせるねじれたシスターフッドな関係が最高

★「ジオラマボーイ・パノラマガール」岡崎時代を記号化して、懐古によらず記号化に成功

★「ラストレター」男子の初恋執着は気色悪いけど、松たか子のオフビートが最高


次は洋画部門です。

 

【洋画】ベスト10

①    「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

   無敵の脚本構成、シャーシャの無双感、シャラメの子犬感、ピューの完璧な脇役

②    「ハーフ・オブ・イット」 ヒロインに感情移入して全身全霊切なく、全ての人が好き

③    「ジョジョ・ラビット」デヴィッド・ボウイ「ヒーロズ」に泣く

④    「スウィング・キッズ」デヴィッド・ボウイ「モダンラブ」に泣く

⑤    「燃ゆる女の肖像」 見る、見れれるの関係性と視線交錯系で全てが映画的で最高

⑥    「はちどり」岡崎京子を相米監督が映画化したのが第一印象。家父長制害毒を痛感

⑦    「ブックスマート」青春映画定型フォーマットを引用して、理想を描く、未来を切り開く作品

⑧    「もう終わりにしょう」引用だらけで、ダウナーに現実と虚構を彷徨うトリップ映画

⑨    「ハッピー・オールド・イヤー」チュティモンが最高。記憶の蓋を開けると危険だ

⑩    「ロニートとエステート 彼女たちの選択」

   ⑤と同様男性が蚊帳の外な女性同士の関係性が偏愛ポイントで意図的にベスト10入り

 

【洋画次点20本】順不同

★「TENET」さあ、大画面で思考ゲームを楽しみましょう!

★「ナイチンゲール」「私が私であること」という台詞に震えた

★「ミッドサマー」男性受難的なアシッドトリップ映画

★「82年生まれ、キム・ジヨン」ユミちゃんとめぐる家父長制害毒の旅を「はちどり」と併用

★「ザ・ファイブ・ブラッズ」前作同様正しきプロパガンダを現実と虚構の合間で力技で押し切る

★「悪魔はいつもそこに」嫌な感じが低温で続くグルーヴ感

★「Mank」やっぱり映画って、映画だよな。それが好きなのさ。

★「凱里ブルース」 夢のカット割りについて一貫して考察し続ける監督

★「アンカットダイヤモンド」誰にも感情移入できず、アッパーな苦痛が延々と続くグルーヴ感

★「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」僕と鼡を思わせる初期村上春樹インスパイア

★「シカゴ7裁判」現実は物語を越え、その現実を再構成するのが映画。

★「鵞鳥湖の夜」変なダンスと麺が食べたくなる

★「WAVES」音楽と色彩感とぐるんぐるんなカメラが疾走する

★「カラー・アウト・オブ・スペース」圧巻の色彩感とニコケイと皆が一緒に狂っていく様が最高

★「バクラウ」結局マカロニウエスタンにkたるジャンル横断映画

 西部劇の設定を借りた脱構築映画が今後の流行りになるだろう

★「ある女優の不在」俳優の存在感が映画をつくる

★「ふたりのJ・T・リロイ」クリスティン・スチュワート好き

 虚実の再構成は先行していた本人によるドキュメンタリーと併用でより効果的

★「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」ドランはやっぱりドランであり、すべてを受け入れる

★「マティアス&マキシム」ドランはやっぱりドランなのね……パート2

★「1917」ワンカットという方法論は面白いけど、音響と撮影がすべて

 

一部で話題になっている「ミッドサマー」
同じくジャンル系好事家が大絶賛の「ヘレディタリー/継承」の
アリ・アスター監督の二作目。

初日に劇場へ駆けつけ「祝祭」を体験したが、
単純な良し悪しや、好き嫌いを越えたもやもや具合が残った。
ひと晩考えたら、何故か村上春樹の長編に通じていた。
感覚的な繋がりであり、多分誰にもわかってもらえないだろうけど、
なるべく客観的に類似点を並べてみる。

 

【アリ・アスター、村上春樹類似説】

 

●明確なスタイルとコントロールで見事なストーリーテリング

 

小説で言うところの文体が明確にある。
それはカメラの動きやカット繋ぎ、色彩感覚、小道具や衣装などを含む

描写全体のスタイルだ。
それらを必要に応じて選択して、
物語全体の語り口として、巧みにストーリーテリングする。
特異なスタイルそのものよりも、「選択」の巧さが際立つ。

 

●細部はリアルだけど行間が多く、物語全体の抽象度が高い

 

ストーリーテリングに必要なスタイルを駆使して、細部をリアルに仕上げる。

必要に応じて容赦なく徹底して描写する。例えば暴力や性など。

でも同時に俯瞰的な客観説明をミニマムにするため、
全体像が隙間(行間)のある隠喩(メタファー)となり、虚実の入り混じった抽象度が生まれる。

 

●深読み可能なマジックリアリズム感

 

細部はリアルなんだけど、全体としてファンタジックなマジックリアリズム。
予定調和な展開や補足説明がないため、鑑賞者の隠喩の示すものを探し求めて、
物語の奥底にあるものを勝手に深読みして。
概して説明過多な物語よりも、説明されない不安定な物語の方が
個々がロジックを駆使して、物語自体の安定化を図ろうとするため、
時代を越えても陳腐化しない強度が高い。

 

●ポップカルチャーからのレファレンスに溢れている

 

確信犯的な引用、例えば「ミッドサマー」の場合
「ウィッカーマン」や「楢山節考」の物語をなぞり、
ベルイマンをスタッフ、キャストに見せたとか、あからさまの参照もある。
同時に無意識にこれまで人生で吸収してきたポップカルチャの断片がちりばめられている。
「ミッドサマー」と「ウィッカーマン」の関係性は
「騎士団長殺し」と「華麗なるギャツビー」に似ている。

 

●セックスと死がテーマの根幹

 

常に身近な存在の死にまつわる物語だ。
死と生の狭間で、あるべきものの消滅によって物語が動き始める。
セックスが単なる生殖行為としてではなく、救済や儀式的な意味を持つ。

セックスと死によって構成されるのが家族だ。

血の繋がりの有無によらず家族という共同体が全ての者に降りかかる呪縛となる。

呪縛からの解放もまた物語の基本となる。

 

●常に同じ話のヴァリエーション

 

「ヘレディタリー/継承」と「ミッドサマー」は粗っぽく言ってしまえば、同じ展開だ。
村上春樹の長編も主人公や設定に違いあっても、
常に主人公が何らかの形で異世界へと繋がり、帰ってくる地獄めぐりなのだ。
まさしく、テーマの根幹をなす死を経て、異世界を旅する物語なのだ。


●日常的な欠片を基に地下へ降り、水脈を掘り当てる識閾下の物語

 

つくり手が物語紡ぐことは、地下、即ち意識の下にある物語の水脈を掘り当て、
それを形にすることと村上春樹は繰り返している。
最初のモチーフとなる断片は日常であっても、
いったん地下へ降りると、物語が何処へ向かって進むのか、
何処にたどり着くのかが全くわからない識域下の営みとなる。
アリ・アスター監督の作品中で繰り返される身内の死は実体験らしい。

記憶を物語として昇華することがある種の救済につながる。

地下に降りることにこそ、救いの道がある気がする。
観客がそれを味わい、読み解くことは地下にある何かに近づくことになる。
結果的に救済や癒しになるかは兎も角、過程こそが物語の持つ根源的な力となる。


作家と映画監督、作風は全く異なる。
そしていくつか挙げた類似性といっても、
殆どの人にとっては、単なるこじつけに近いだろう。
何となく似ている触感とか、既視感みたいなものに近いかも知れない。
いつかこの二人が交錯することを妄想してしまう。

 

 

冒頭の10分程度の僅か2カットで観客を物語の渦中へ誘い、

謎を探る同伴者として引き込む見事な脚本と演出に感服。

メールで送られれきた地方の女優志願の少女のスマホでの自死を

思わせる自撮り映像と女優とパナヒ監督自身が現地へ確認に

向かう車中風景の長回しで、物語の主人公と状況設定を全て説明する。

一切無駄がなく、僅か10分程度で目が離せない緊張感を生じさせるツカミが本当に見事。

 

山を越え村へ向かう。

村に通じる道は幅狭い坂道一本という隔絶され、排他的で保守的な村。

コミュニティ外からの訪問者を暖かく出迎えるわけはなく、

何やら思わせぶりな人物と発言が続く。

勿論パナヒ監督なので、黒幕や陰謀、ドンデン返しが待っているはずもなく、

割とあっさりとネタは割れてしまう。

 

現実世界と映画という虚構のレイヤーを行き来する。

英題の3 Facesの意味がわかった時の高揚感ったら。

監督自身が映画監督として傍観者を演じているのも面白い。

物語の語り手でもあり、同時に物語の中で生きる登場人物でもある。

虚実のバランス感がお見事。

やっぱり、虚構と現実を交錯させるメタ視点の映画はツボだ。

 

 

 

 

シャーリーズ・セロンは正しい。

シャーリーズ・セロンはカッコ良い。

同性、異性問わず突っ込む余地がないほど正しく、カッコ良い。

決して個人的に容姿が好みとか、

昔から無駄脱ぎと言われるくらいに気風よく脱いでくれるからではなく、

フェミニズム的、政治的に正しいとか、

身体を張って役柄に挑むオスカー女優だからでもなく、

壮絶なトラウマ人生を乗り越えているとかでもなくても、

それらを全てひっくるめて、

「姐さん」と呼んでしまう正しさとカッコ良さに満ち溢れている。

ヤクザ映画でお馴染み、組長の妻への「姐さん」という呼称がぴったりなのだ。

威厳と親しみを込めて「シャリ姐」とか呼んでしまう。

主演作は勿論だけど、制作実務、経済的関与具合は不明だけど、

「プライベート・ウォー」など、

裏方としてのプロデューサーのクレジットにも痺れる。

仕事を選ばないけど、常に一貫した仕事ぶりがうかがえる。

 

今作は割と身も蓋もない逆シンデレラ、玉の輿物語である。

ジェンダー的に正しくあるために、女性上位へと男女を入れ替えるのは昨今の流行りかな。

ポリティカルには正しいけど、物語としてはダメ男の視線が中心なので、

「こんなダメな僕を救済してくれる彼女」という男性妄想な女性の感じも否めない。

主人公はいろいろ一途だけど、大器晩成な才能の持ち主の逸材でもない。

そこら辺のキャラ設定の揺らぎは全部姐さんが引き受けてくれるのだ。

お馬鹿な下ネタも、安直な政治性も、ポップカルチャー引用も全て包み込んでくれる。

姐さんは最高にチャーミングで役に徹してくれる。

だからダメ男ならば、そばにいて欲しい願望をくすぐる。

異性からは妄想として、でも同時に同性の声を代弁して、正しくあることを両立させる。

「マッドマックス」で男権の象徴であるイモータン・ジョーから

女性を解放する女戦士フェリオサに通じる正しく、凛とした政治家として、

次期女性大統領候補の夢物語としても納得させる。これは姐さん以外あり得ない。

主人公みたいに、初めてスクリーンで会ったあの時からずっと……ということはないけど、

最近のシャーリーズ・セロンは最高だ。

 

偏愛度合い★★★

 

 

 

 

ざざっくり言えば、

歌の好きなヤンキーメンタリティの美少女サクセスストーリーかな。

物語自体は昭和歌謡風味全開とか揶揄されているけど同意。

田舎育ちで貧しい母子家庭の少女は、学校では居場所がなく、友人もなく、

生活のために近所のファミレスバイトしている毎日。

基本ジャージかヤッケ(言葉が古い)を着用、音楽と原っぱ、動物(馬)だけが拠り所。

ふと知ったアイドルオディーションに挑戦して、

勝ち抜き都会へ出ていくなんてほんとクリシェ。

ヤンキー感全開だ。

でも演じているのがエル・ファニングだから成立する物語でもある。

自然風景やネオンと言った逆光や影を多用し、見事なカメラ構図で

あざといくらいのプロモーション映像が続く。

物語自体とは余り関係のないインサートが多い。

これもアイドル映画と思えば、何も間違っていない。

イケメン見つけて、よっしゃと気合入れてミニのボディコンワンピも着るけど、

ほんとどは普段着ばっかり。

コンビニの前うんこ座りしているヤンキー高校生のような

真っ赤なジャージすらお洒落に着こなす。

彼女のインスタ追ってたらわかるけど、あらゆる服を映させる女神のような存在。

何よりも立っ端があるので何を着ても映える。

よくよく見ると幼さが残りながらも、美人と言うには顔バランスがちょっとおかしく、

眼光が鋭く、デフォルトが不機嫌。

その癖、時折笑うと言葉通り地上に降りた天使のようだ。

ロングの金髪を振り乱して歌う画像ばっかり流れてくるけど、

実はお団子ヘアー映画でもある。

お団子ヘアー好きの某監督なら悶絶必至だ。

母が保守的なキリスト教信者で抑圧され、普段は髪を団子状に結う。

勝負どころでは髪をほどき、やる気モードへと変える。

途中から物語を追うより、そんな細部ばっかり見て楽しんでいた。

監督はアンソニー・ミンゲラの息子。

「アンソニ〜ミンゲェラ〜」

という「イングリッシュ・ペイシェント」で

オスカー監督賞を受賞時の声(厳密にはイントネーション)を昨日の様に覚えている。

2008年に死去して、今や息子が映画監督というのだから転がっていく時間が怖い。

あ、そう音楽は断片が使用されるアイリーン・キャラの「フラッシュダンス」以外は

全くオリジナルを知らない曲ばかり。

エルは頑張って吹き替えなしで挑んでいるけど、流石に青臭く心動かせれない。

新年早々、女優愛でるのが映画の基本なので、まあまあ良しとしよう。

 

偏愛度合い★★★

(満点は★5つ)

 

 




ちょっと昔へのノスタルジーという岡崎世代への接待に陥らず、
スマホにインスタと現代に生きる主人公と同世代に向けて
アップデートした監督の手腕を評価。
空っぽの虚無感が時代を越えて如実になり、
岡崎京子の原作の普遍性を痛感。本編は「スプリングフィーバー」を
「市民ケーン」と「アマデウス」という監督発言通り。
劇中引用されるイーディと同様に周囲を巻き込み、瞬間に輝く偶像を追う。
「青春の自爆テロ」という秀逸な台詞の通りのはっちゃけ感がまるで夢物語の様で空しい。
チワワちゃんの内面や真実を一切描かず、
周囲の記憶の伝聞のみで描き、声のレイヤーを重ねても
実態のない虚無感が増していく存在。
喧騒の当事者ながらも、何処か冷めていて、
寄る辺のない主人公に門脇麦を配したのが絶妙。
チワワちゃんと似た風貌ながらも、光と影の存在であり、
憧憬と嫉妬が入り混じった視点で消えた彼女の姿を観客視点で追う。
最後に真実や結論に至らないのも当然。

偏愛度合★★★★