エニアグラムタイプ6(とタイプ5)の特性がもたらしてきた僕への作用について少しだけ書きました。

エニアグラムについてご存知の方には自明の理かもしれないですし、そうでない方にもわかる方にはお見通しの僕の特徴も知ることができました。

ここからが表現の難しいところですが、こうしたことを理解することは、エゴに餌を与え太らせるためのコレクションとするのと、こうした自我の反応パターンから離れた観照意識の自分へとシフトしていくためとでは、正反対になるはず。

「動機がすべてを決定します」ということでしょう。


わかった気になるよりも、これをこれから邁進するスタートを切るための起爆剤にしたいと思います。


まだエニアグラムの話をしますが、僕はタイプ3的な要素を甚だ苦手としてきました。特に、決めて動き、結果や目標を求める、ということにおいて、です。

今思うのは、これから多くの方が目覚めていくと言われているこの時代、僕にとってはタイプ9の身体感覚に自己感覚を感じ安らぐことや心の安定感、タイプ3のような決めて動くことは大切な要素のような気がします。

無理に決めることを自分に強いるのではなく、自己感覚の確信において、です。


「奇跡のコース」などのような言い方なのかも知れませんが、神と聖霊と手を繋ぐことのできる確かな自己感覚が魂なのかな、という気がします。

「奇跡のコース」について実際のところをわかりもしないのにわかった風なことを言っているのは、いまある自分なりの意志を言葉にしたらこうなるかな、という位置づけです。

ちょっと背伸びをしてるかも知れませんが。


それから、マインドのレベルではエニアグラムが助けになったということで書いてきましたが、
マインドのレベルやエネルギーレベルで他の方々からサポートも頂いてます。

見えないエネルギーでのサポートということについては、マインドだと懐疑的だと言うことはあってもそれを超えて受け取ってるという現状で、
混乱期の霧が晴れたのはほぼそのおかげかな、と思っています。

今まではほぼ完全に自分と世界を蔑ろにしてきましたが、これからは、そこに少しずつでも自分(自己感覚・エネルギー)を認めて加える(参加・体験)することも、観照意識へのシフトも勘定に入れていきたいと思います。



次は、本連続記事(1)のしょっぱなの話題にしておいていつの間にか忘れていた、魂についての伏線回収です。笑
エニアグラムタイプ6や隣のタイプ5が僕に作用していた気づきのポイントを書くと長くなるだけでなく、
本当にそこをクリアしていないと(受容し、あるいは超越していないと)繊細な領域なのだろうと思いましたので詳しくは割愛しますが、

中でも気づきのポイントだったところを自分なりに書きたいと思います。


自己感覚が信じられない、基盤がないことを恐れ、縋り付けるものを求めるタイプ6の傾向があり、自分自身で生きることに自信が持てず、何をよすがにしていいかわからなくなってしまっていた僕。

しばらくは某かのグループや人と関わることにその光を見出だそうとするけど、直面したくないところに直面せざるを得ない事態に。

いつしかタイプ5の知識を集めることで解消しようと一生懸命に。

ただ、そうして自己感覚や自分自身の自信の無さは、知識に対して縋り付くようになります。

また、タイプ6の、「好意的に思われ、守られていると感じる対象から、好意的に思われ、守られていると感じていられる自分でいようとする」傾向は、八方美人になったり、
上の願いを叶えてくれることを期待できるとした対象への傾倒を生んだりします。

こうした傾向が行き過ぎると、起こるのは、益々自己感覚への自信を軽んじ、また見失ったという思いを強める、ということになっていた。……ということだと思います。

というのは。


「自分を信じる」ということが「自分の力で生きていく」「自分の人生で自分に起こったことや自分でしたこと・自分の生き方に責任をとる」ことなどと繋がっていて。

それが恐ろしくて避けるために縋り付いた人、グループからメソッド、知識への移行……。

そして、自分自身の感覚や実感などよりも知識に権威を持たせていたことによって、「そこに自分がいなくなってた」ことに気づきました。

ここでいう「自分」とは、エネルギーのようなものです。魂、安心感、イキイキした感覚。自分自身におさまったような感覚といったことです。

人や場所、環境、好きなことなどと関わる中でもこれらの感覚は得られるのですが、

知識やメソッドだけをただ頭で理解し整理する中では、自分自身を完全に自己完結で受容しうるレベルまで実感できたかどうかということは、全くできていなかったと思います。


…ようやく自分自身の望んでいた自分軸ともいえる基盤に気づいたような、そんな気がします。



(続く)
ここまで手放しメソッドや目覚めや悟りなどについて、色々情報をきていて、それら一つ一つの情報は本当に素晴らしい情報だというのに、なのに混乱や葛藤は増してきたような状態に陥ってきました。

以前にも書きましたが、よくするための知識の闇ナベ状態です。

最近、ようやくある程度混乱の霧が晴れてきたように思いますが、マインドレベルで貢献してくれた主力の一つが、十年以上も前に出会っていたエニアグラムの理解でした。

以前は、なんでこのエニアグラムにこだわっていたのかわかりませんでした。

そして、以前ブログでスピリチュアル知識の闇ナベ状態と書いてもそれ以降も同じ状態だったのかについても、タイプ6の根源的な恐れからくる囚われ(特有のビリーフ)から来ていたように思います。


~〈注〉~

抽象化して高い視点から捉えると、すべてはただのネガティブの雲で癖で、こうして定義づけして安心したがるのがエゴの特徴の一つ、と捉える見方もありますし、

意識や心が織り成す波動の状態が整ってきたらエニアグラムの知識を手放してもいい時がくるのかも知れませんが
(暴言かも知れませんが、時代が時代で認識の変化のスピードが速くなる一方なので)、

エニアグラムの体系自体は、そんなあれこれを知った上でも、観照意識になって自分の反応パターンを見つめ気づきを深める上で役に立ってくれたと思っています。

そんなわけで、僕にとっては大切な気づきだったので、一つの道程として書いています。

~~~

また、今までは、自分を定義し安心するための材料としてエニアグラムを使ってきたような気がします。

それがわるいとは思いません。
そうした軌跡を経て今の理解がありますから。

また、エニアグラム自体が制限的な自我の作用がもたらす苦しみから解放し精神的に自由になっていくためのツールであるなら
(たしかグルジェフ氏からリソ氏などの流れではエニアグラムの意義をそう捉えていたように思います)、

観照意識であることとエニアグラムがケンカすることにはならないのではないかと思います。


自己受容から自己超越へというステップのためにも自己理解は大切かと(復習しています)




……僕自身のタイプ6の気づきの話を書こうというのがこの連続記事を書くきっかけだったのに、未だにその話になってませんね。



書けるようなら次の記事から書いてみようと思います。



なので、多分続きます。