同タイトルの(1)からの続き記事です。



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さて。

「自分の感覚が大切」とか、「結局どんなメッセージであれ自分に合うか合わないか」とか、色んなことを書きつつも、なぜ苦しいままだったかといえば、

今まで何度も書いてきたエニアグラムタイプ6の根源の怖れ「拠り所がないと生きていけない」が強力に自分に作用してきたからだと思います。

他、「自分の判断や選択に責任を持ち自立して生きていくこと、責任追求され脅かされること、守ってもらえなくなることへの恐怖」があります。

タイプ6の誰かに守られていたい、守ってもらっていたい、などの依存心という特徴が強く自分に作用していました。


これは幼少の頃から備わっていた特徴ですが、守ってもらえていた両親や年上の家族に心を開けなくなってからは、

もうずっと自立なんてできない、社会は怖い、養ってもらうしかないなと思いながら、そのすぐに傷つき自分を責めたり落ち込みやすい自分がやがて求めたものが心に関することの知識でした。


現実から身を引き、実践とは無縁の傷つかない領域で解決策を求める。ここでタイプ6ウイング5的な特徴が出ます。

(そんな自分をタイプ4ウイング5かウイング3かと思っていた時期もしばらくありました。今でもタイプ4ぽくない?と思うこともありますが、多分エニアグラムについての理解力不足なのでしょう)

そこで心理学・哲学・成功哲学・カウンセリングやコーチングなどエニアグラムなどの本を読むようになり。

本田健さん、江原さん、前世ソウルリーディング、個性心理学、ソース、ビジョン心理学、NLP、聖なる予言、フラワーオブライフ、エンジェルカードなどのスピリチュアル系、引き寄せの法則系……といった風に、読書の対象は移っていきました。(以前、過去記事「読んだ本」に挙げましたが)


そしてブログを書いた年か前の年くらいから、ヒューマンデザイン、レナードさん、津留さんといった方々にフォーカスが当たるようになります。


……と、脱線してしまいました。


最近、こうした自分の傾向がどんな意識から(気づいていないビリーフから)始まっていたのかに、以前より気づくようになりました。

そうした自分の行動動機があまりにもエニアグラムタイプ6に符合するなというのが、最近の気づきと実感の一つです。

ここに気づくということは僕にとっては大きなところでした。


(続きます)
前回の記事からの続き、連続記事です。


このお話の内容は、昨年1月の『大発見。坂上浩さんのコーチングからの気づき』(タイトルちょっと違うかも?)とそこからの感想の連続記事から始まっています。
あと、今年1月(か2月)の幾つかの記事でも続きを書いたような気もします。


自分の頭でこんがらがってもつれていた糸をほどく作業のプロセスを、気づきまでのプロセスを、この連続記事にしたためたくて文章にしています。
その後書いていて出てくる言葉も。

書いている内にまとまっといくような気もしつつ、書いてます。

(追記:ただ、以前の記事を読まれていない方でも、読み進む内にある程度は読むに耐える文章になるようにと、ちょっと意識して書きました。たぶん。)


ご興味のおありの方はどうぞお付き合いくだされば、と思います。^^




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『神の使者』に出会ってから色々な本やメッセージに出会いました。とは言ってもそんなに理解力や吸収力などはなく、極めて牛歩的なスピードで、しかも実践や変容まではとてもおぼつかず、でした。


今まで頭や心が「もうだめ~」って悲鳴をあげていて、それでも「これしか……!ちゃんと最低限、〈こんな自分でもうまくいくスピ方法の全貌〉を理解するところまでいかないと、他には救いはないんだ」というところまで気持ちは追い詰められていて、その延長線上でつい最近までの僕がありました。

実際の手放しや浄化ワークや瞑想、自分に優しく、リラックス、感情解放、などの実践はほとんどせず、情報を収集し理解するばかりに注力してました。

なので、ブログに過剰ポテンシャルを軽くしたいと書きつつ、その焦りなどが強すぎたので、実際は過剰ポテンシャルはほとんど解消されなかったわけです。

そうした色々な情報を整理できない自分の心の大きな葛藤が少しだけ解れてきてそれが織り成してきた苦しみが和らいだのは、つい最近です。


ここからは、勝手ながら他のメッセンジャーの方について触れながら書くこともあるかと思いますが、温かく見てくだされば幸いです(今まで何度もそうしてきましたが^^;)。







続きます。
ある気づきがやってきて、今まで数年間心のどこで支えていたことがより明らかになったに思います。

完全に個人事のような内容ですし、言葉にすると正確ではないかも知れませんが、思うがままに書いてみます。

ただ、今回書く内容は過去にも書いてきた幾つかの記事と繋がりがありますが、今回からお読みになる方のことをあまり考慮していない記事であることを予めお断りさせて頂きます。

その上連続記事になりますが、内容にご興味がおありの方はお付き合いくださればと思います。



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魂。

以前よりこの言葉に惹かれてきたのですが、
ある時に「個別の魂などというはない」という非二元のメッセージにも触れました。


この二つを自分の中でまとめられず、葛藤してきました。


究極的には魂などないというところに行き着くのだろうけれど、魂の望む生き方というものにも惹かれる。自分にとって何がそれなのかはわからないけれど。

という思いと、

魂の実現が宇宙の望みだというメッセージと、
究極すべてが幻想であるというのならば、もうこの世でよすがとするものはないんじゃないかという風に考えてしまっていた深い諦めや無力感があり。

さらに観ていくと、スピ系の様々なメッセージについておそらくまだ理解が浅い時期に『神の使者』と出会いました。

その『神の使者』には『奇跡のコース』――純粋な非二元論の視座に取り組むこと――がスピの道としては最短コースと紹介されてました。

その頃は非二元論ということさえ知らなかったんですが、その特別さに惹かれました(『神の使者』も『奇跡のコース』も、このような受け取り方を推奨するものではないと思います)。

それを知った僕があまりに先を急ぎすぎ、『ただ実践が求められる』という言葉だけが印象に残りつつ、その実践のためのコースの本は当時まだ翻訳されてませんでしたが、
書かれていたことを検証もせずにそのまま盲信し惹かれていて、そのままこの本の主張が僕の心に棘のように刺さっていたのだと思います。

もちろん、コースの内容の有用性の云々を言っているわけではなく、読み手の僕に基本的な理解力が欠けていたんだと思います。

『神の使者』の内容についてはまだ深く落とし込める自分ではないことを潔く認める必要があった。
それくらいの自分を客観視する認識力があれば、もっと自分自身の認識力が育つプロセスは早かったのではないかと思います。(続く)