高木悠鼓さんの『人をめぐる冒険』を読みはじめるきっかけの一つが、空愛ジョイさんのブログでのご紹介でした。


今回はその流れで、高木さん関連のお話だけでなく、空愛ジョイさんのブログに関してのお話を。



空愛ジョイさんのブログでの高木悠鼓さんのご紹介をきっかけに、家にある高木さん訳のオリンの本や、同じ出版元の『バーソロミュー2』を開いたりしました。


この本を以前読んでいた時には、内容がほとんどどこか自分の世界の話でないままの感覚だったと思いますが、
久々に読むと、ようやく内容が「こんなこと書いてあったの?」と灯台元暗しの気持ちでした。

非二元も踏まえた上で豊かさにも書いてある本で(『人をめぐる冒険』の人間意識の段階と神意識の段階のどちらも捉えた本のようで)、
マネゲ本のプロセスとほぼ同じ質のワークも紹介されていましたね。

そこから高木さんの本を読みだした訳で。(『楽しいお金』『楽しいお金2』『楽しいお金3』も。訳書『顔のあるもの 顔のないもの』は途中まで)


また、今までマインドで非二元的な視点をどう扱ったらいいのか、頭で整理できないでいたんですが、

空愛ジョイさんのブログでは、「自分の人生を、好きなことを大事にしていいと思います」という立ち位置から、優しい語り口で、
高木悠鼓さんや非二元の(表現合ってるかな?)メッセンジャーの方々をご紹介されてまして。
そんなブログ記事のメッセージの端々から、僕の未整理だったスキマを何度も埋めてもらえました。


他、まだ心に残っていて整理できずに引っかかっていた『神の使者』についても。
最近、その著者ゲイリーさんと握手された時のお話を紹介下さってました。

そこで紹介されていたゲイリーさんからのメッセージを拝読して、
僕の詰まりが取れたのか、楽になれた感じがしました。


そんなわけで(僕にとっては)体験が伴わずに知識として精神世界の二元~非二元の道の情報を取り入れようとして迷って混乱しがちだったところを、

紹介を交えたりご自身の実感や思いを交えて言葉を綴られながら、
本来のコースに戻れるようさりげなく道を照らしていただいた思いです。


優しくニュートラルなスタンスで無駄のない文章から、さりげないお心遣いの他、そっとエールを下さっているように感じます。



次の記事で、空愛ジョイさんの過去記事から一つ、面白かった言葉遊びをご紹介させていただきます。
今回は読んでよかったと思った本をご紹介させていただきます。

マホロバアート出版の高木悠鼓(たかきゆうこ)さんの『人をめぐる冒険』です。


ブロガーさんお二人のご紹介がきっかけで、図書館から借りて読みました。

こちらの本の内容の中でも印象的なのが、

人間の意識の違いをわかりやすく便宜上に「動物意識・人間意識・神意識」という三段階に分けていて、誰しもこの三つを備えて、その意識の世界観から生きている、というところでした。

三つの意識段階をポイントだけ記すと、たしか下記のような感じだったかと。

・動物意識……自分は肉体の中にいて自己保存本能が行動原理になる

・人間意識……よく成功哲学や願望実現系スピリチュアルで言われる自分が宇宙の主人公で創造主

・神意識……分離した個人自分などいないし自分の選択などない、すべてが自分

といったところのようです。

こちらの考え方は、高木さんは他の方からヒントを得ているとのことで、そちらはたしか七段階くらいあったそうです。

僕は特に、
人間意識の「あなたはなんでも可能な創造主」という立ち位置と、
神意識の「あなたにできるのは観照だけ、神に比べたら個の縛りは苦悩の源、委ねること」という二つの主張の違いで「どっちやねん」と混乱してたので、

この分け方は便宜上のものだとしても、なるほどと思わせてもらえました。


はっきりこうまで分かれたらそりゃ意見としては対立するよなあ、と思ったのですが、

人はそれぞれにベストな位置にいると捉えていると書いてあり、このメッセージはとても大事なポイントだと思いました。

他、「欲を抑圧していい人になろうとすると歪むから、エゴイストになる方がかえって意識の成長としては早い」といったお話もあり、シャンパンタワーの法則を連想しました。

また、段階といった考え方はある意味での安心感があります。
僕から見ると、順番的には、自分の存在やパワーに不信→自分の存在とパワーを信頼→信頼を神にシフトって感じで、

必ずしも神意識を自分に強いる必要もなく、
自分の今の意識の立ち位置、自分の意志やタイミング、また、別のそれぞれの意識段階の知恵をも尊重でき、またいつでも吸収するチャンスがあるとしておけるかと。

精神世界の様々なメッセージをろくに整理しないで取り込みすぎた結果混乱が多かった僕にとって、この本のメッセージはそれを整理する一助になったと思います。
一記事あたり900~1000文字のガラケー環境で画面も遅く、しかも打つのが遅いとあっては、なかなか一苦労です。

一目で見られる文字の量も限られてるし、目も頭も疲れます。周りへの意識も散漫になります。でもスイッチが入ると打ってしまいます。

以前よりはちょっとだけ怖れを手放せているのかも知れませんし、かえって見られることを気にしながら打っているかも知れません。

今回は、けじめの気持ちも手伝ってるかも知れません。

理由はともかくとして、更新された記事がかつての僕が僕だとしているエネルギー体から放出された残滓として残ります(←いつもながら背伸びした表現)。


続きです。


エニアグラムよりもメソッドや書いてあることの内容よりも、何よりも伝わるのはその人自身のエネルギー(雰囲気や波動)だということに今更ながらに気づいたので、
自分の出すものに気づいていた自分は表現をしない方がいいかな、と思うことは以前にもありました。


ですが、今は、今の軌跡を記しておきたいというエネルギーから書いてます(と、自分ではそう思ってます)。

その軌跡を大切だとしてあげることが自分を大切にすることかな、と思ってます。

ここまで来た時に、ようやく、人の価値はなんであれ誰とも比べることもない、かけがえのないものという見方に通じたのかな、と思います。

例え普段口でや態度では自分や人のことを比較したり否定的に扱うことがあったとしても、その意識が基盤があるというのは違ってくるかと。



・・・・




今は、幾つか大切だなと思うことがあります。



・いまある認識している自分から、想念や思考や感情などを観察すること

・身体の感覚を感じたり溶かしていったりすること

・ハートを意識したり、細胞が緩み安心感と繋がるようにしていくこと

・浄化に取り組むこと



色んな方が示して下さっていることですが、ここ最近のご縁を通じてこうしたことに取り組む気持ちが少しずつ強くなってきてる…ような?

こうしたことのプロセスが早まるよう、自分の意志や感覚に応じて意欲的に取り組むことが肝要となるかな?と思います。




とりあえず、ここまでにします。