続きです。





ちょっと前回記事の繰り返し的になりますが。


今まで本を読むときは、もう焦って頭に詰め込むような感じで読んでたんです。

(海水浴に行ったとしても、気を張ったまま必死に英単語を暗記しつづけるような感じ?違うか?)

もしくは他のことが気になったり、気がそぞろなのに読んでたり、
自分のハートとつながってない、というか。

とにかく、まあ、頑張って空回りするか、心ここにあらずか、ぼや~っとしてるか、効率や結果を求めて逆に非効率で何も得られず、表面的な頭での暗記というか。


まあ、周りも見えず、現実からはほぼ乖離して(超越したいとか、そんなことに憧れて)、

そんなこんなで来てたんですが(今もそんなところは相変わらずある気はしますが(笑))。



そんなだった僕が、

こないだの「知らないこと」を何とかしよう、知ろう知ろうという再現のないもがきに気づいてから、


『津留さんが、心から伝えたかったこと。』を読んでました。


『幸せテクニック』に書いてあったような行間を読む読み方をしているかはわかりませんが、

急かず慌てず読んでまして。


(「急がず慌てず」の意識で読めているというのは、僕にとっては快挙です。

もちろん、「急がないように慌てないように」しようとして頑張ってもいません)


そうすると、結果を得ようとがんばっていた時よりも、メッセージの内容がより自然に入ってきたように思います。




津留さんのお話は、「宇宙」「意識」「二極化からの解放」といった深いところを語りながら、

あくまで語るところは「あなたが光輝くこと」「喜び」「幸せ」などを大切にされていて。

できるだけ平易な言葉で、また、本質的なところを語っているように感じました。


また、基本的に、全てはどっちでもいいというスタンスから「こんな考え方もありますよ」という提案をしているだけで、

明らかにこちらの方がいいですよ、という誘導をしたり、同じ思いの人を増やそうとしているスタンスにはいないので、

コントロールめいた押し付けがましさを感じることなく読めるんです。


津留さん自ら、津留さんのお伝えされているメッセージ自体についてさえ、意味のないこと、どうでもいいこととして捉えてらっしゃるので。(「方便」て事だと受け取りました)


それでいて、響く言葉やいいなと思うメッセージが沢山ありました。



続きます。
津留さんのことをちょっと書きたくなったので、

ざっとここ二年ほどの、僕のスピ遍歴を書きます。




僕の場合、津留さんのことは、二年と少し前にぐるぐるさんとよっつさんのブログを友人が紹介してくれて、

そちらで津留さんのことが紹介されていたことから知りました。


お二人のメッセージも共に気に入り、HP『津留晃一の世界』から『津留晃一のメッセージ集』を読み、

実際の人生では全く活かせていなかった、全く腑に落ちてなかったにも関わらず、

感覚的には一番親しみやすいというか、馴染みやすいというか、津留さんいいなあ、と思ってました。

『幸せテクニック』を購入して読みましたが、頭で納得してはいなくて、浄化ワークを何度か試してみても、どうにもままならない。

よっつさんからも浄化ワークのレポートも送っていただいたんですが、浄化ワークは僕はなかなか使いこなせてなかったです。

それでも、ぐるぐるさんやよっつさんや津留さんのメッセージに、いいなあと感じる心はほとんど変わりませんでした。


セッションは、受けたいなという気持ちを持ちつつも、経済的になー……。と踏み込めないままにしながら、
自分なりに本やブログなどを読んできてました。




何人もの方々の無料のセッションを受けさせていただいたり、
友人の紹介でご縁し、半信半疑ながらも感覚的に気になった、ディクシャ、ミロスと少し触れ関わらせていただいたりしてました。

あとは、やはり友人の導きで知った、ヤングリヴィングのエッセンシャルオイルをプレゼントしていただいたりして、いいなと思ったり。



そうこうしながら、ヒューマンデザインやエニアグラムも気になり、

また、MASATOさんとご縁いただいたことなどから、やがてOSHOも気になりだしたり。


インプットばかり過剰すぎて未消化のままに、さらにインプットし続けて。
オーバーヒート&ショートしてばかりでしたけど。


そんなこんなで、色々出会いやご縁があり、それでもうだうだもがいてましたが、



で、最近の気づきに至って今、最近やっと購入しました『津留さんが、心から伝えたかったこと。』を読んでました。



以前は、何かにつけ結果を得よう知識を得ようと、がむしゃらに先を急いで読んでいたかもしれませんが、


ゆっくり読んでいると、津留さんのメッセージはやっぱりいいなあと思いました。





続きます。
気づきからの語りがいつしか考察に落ち着いてしまうところを、


さらに付け足します。



見えない制限に気づいたときに、抜けられたような、解放されたような、その感覚。


それは執着するものではないでしょうが、




その感覚がこれからの道の頼りの記憶(感覚という意味で)になりそうです。






あと。





自我のメカニズムのことを、魔法と表現される方もいらっしゃいすね。


この場合の魔法は呪いみたいな意味でしょうか。


催眠状態と言ってもいいかな。


チャームとかカースとかの魔法みたいな?


パニック状態もそうですね。パニック中はコントロールが効かないことも連想しました。



例えると、RPGゲームのキャラクターのステータス異常です。



その、かけられた魔法・術を自分で解くためのコツの内、効果的なものとして、

自我の構造を理解すること(どんな魔法がかかっているかに気づくこと)なんでしょうね。



「人間は機械である」という言葉を残したグルジェフ氏とエニアグラムとの関わりは、この辺にあるのかな……(この辺=自我のメカニズムと構造を明らかにすること)と、

全く知りもしないのに、ふとそんなふうに思ったのでした。




自我の影響が強い僕にとって、マインド(思考)による自我の理解から入ったのは(こだわらざるを得なかった、とも言えますが)、

まあ自然な流れだったのかも知れません。



ハートの道に心を閉ざしてたとしても、

それだけが道ではなかったと。


道は完全に閉ざされたわけではなかったんですね。



大した展開をしていない深い気づきでないかもしれないですが、その気づき一つでこれだけ書いているということは、


それだけこのことが制限になっていたのかも知れません(まあ、思考で答えを出す気も分析する気もありませんが)。



これからも見えない心理的枠組み(制限)に気づいていくことはある、その確認ができる気づきだったのかも知れません。



もちろん、こういった気づきをエサにさらに自我が強化されるんじゃ?という見方もありますが、

そんなことのないように……ともがくくらいなら、

まあそこは流れに任せちゃった方が楽でないかい?

と、今は思ったりもしたのでした。



今の自分にはどうかだな、と。






とりあえず、ひとまずこれにて。