どうも、おはようからおやすみまで、自分(としか思えないこれとかあれとか)を見つめる僕です。

よし。一部の方々にはおなじみのフレーズをもじって、
綺麗に語呂のわるいスタートを切れましたね。

とにかく書くんじゃよ、という地獄からの天の光の声を聞いてないので、今日も書きます。

色んなスピリチュアルメソッドやメッセージなどを貪りつつ、ひしめきあった情報を扱いきれずにいたけど、それでも情報収集はやめられずにきた僕。

かえってそれが大変に効率悪かったです。

安静にすべきときに無理する患者みたいな感じだったのかもしれないですね。

「考えず、感じる」という言葉でさえ、新たな信念として握る、というような。

この手の僕固有の心の動きは、エニアグラムタイプ6の特徴やその隣タイプ5の特徴が色濃く出てるかと。

タイプ6の、不安から拠り所を求める傾向や、信念を手放したくない傾向、恐れを感じることを恐れる傾向

タイプ5の、知識など専門知識などを貪りためこむ傾向。

まあ、エニアグラムはキネシオロジーテストの意識レベルからすると知性のレベル400近い数値だそうなので、

神や目覚め(誤解を招く表現ですが)を主観的に体験する次元というよりは、
マインドにより同一化してた自己を認識していく手段、そのツールがエニアグラムなのでしょう。

ハートの道は肯定の道で喜びの道だが、マインドの道は否定から入るので厳しい道だ
といった記述もホーキンス博士の本『I〈わたし〉真実と主観性』にありましたが、(キネシオロジーの意識レベル判定はこの本に載ってます。紹介してくれたKちゃんありがとう^^)

僕の場合はマインド(思考)がかなり働くので(しかも否定的なマインドが強い)、エニアグラムにハマったというのはそのあたりかも知れません。

(エニアグラムは自己発見のための地図で、別に否定的なマインドが強い人のためのツールというわけでもないと思いますが)

まあ、僕が現段階で言えることは。
如何に素晴らしく深い完成されたメッセージでも、今の自分と合わないものを無理矢理自分に適用させることはない、という、
このブログで一年以上前にも料理に例えて書いたことだったりします。

なぜそれが今でも変わらず同じところにハマっているか。

それは、自分のエニアグラムタイプがわかったので自己理解がしやすいのですが、
聞き上手な知人との会話の中から見えてきたように思います。
今まで色々スピ系(?)メソッドや本やツールなどについて、知ったものだけちょこちょこ書いてきましたけど。

実践もほとんどしてませんし、特に目立った変容もしてないなというのが、今のところの実感です。

いやまあ、そんなこと書かずとも、僕の記事などからすぐ伝わるかと思うんですが、
ほぼ完全にエゴに扱われてる日常でありまして。

「瞑想する」とか「メソッド実行」とかにも身が入るわけでもなかったわけです。

色んなスピ本読んでも、それをMY真実としては腑に落ちないできたんですけどね。

マインドが納得するまでは、スピリチュアルパズルのピースを集め続けるしかないか~みたいにやってたんですが、

最近は、スピ批判の情報とかもまた読んで、どの情報に信憑性あるのか?とか迷いもしてました。(自分軸が定まらないからでしょうか)

人に対しては何か知ってることを役に立てたらとお節介で伝えたりしてましたが(それもかえって余計だったり逆効果だったりすることも多い)、自分はこんな感じで(^_^;)

……と、こういうことを書きたくなりました。

なんていうか、もう、書いちゃいますよ解放したくて、という感じです。

ある程度、とめどなく書いちゃった方がいいと思った……というかまず衝動です、勢いです。理屈や理性は後付けでした。

僕の場合、自分のことや知ってること思うことを話し出したらマシンガントークになる傾向がありまして。しかも悲観的妄想ストーリー仕立てで優柔不断のぐるぐる系の話しも多い。

甘えたい気持ちはあるけど甘えにくいので、
「この人は・ここなら」という時にはやってしまう。
聞き上手な方、特にニュートラルな意識で聞いてくださる方の前では特にその傾向があるかと。

論理的に話してるつもりでも、結局は気持ちを表現したいという感じで…タイプ6ってみんなこんな感じなのか?( 笑)

まあ、ブログでも気持ちを表現したくなった時は、あまりあれこれ考えずに書けたらいいかな、と思います。

こうしてたまに突発的に解放する形で書いてますが、まだ書いていけるといいかも知れませんね。

思いを吐き出すデトックスはまだまだ続くかも知れません(さて、どうかな?)。
はい、また前記事とは打って変わって口調変えます。



実際の毎日は、日常の自分は、ですね。



もおなんていうか、数々の出来事に変わらず一喜一憂しまくりで。

喜よりも憂の方が目立ってる感もあり。



ダメダメだ自分、とか落ち込んだりなんて、しょっちゅうなわけです。



時折のお仕事で、「あちゃー」な失敗してたり、

支配されたくない、とか、逆に支配されてるように感じると言われるような話してたり、とか。


人を振り回したり、振り回されてると感じたり、とか。



何かの拍子やきっかけで、そういったことからのストレスが全くなくなるような気づきが起こるといいな、とは思いますが。


まあ、今は、そこは無理せず、ゆっくりで。




でも、ブログでは取り組んでる自分を見せたいのか、

好かれたいのか知らないけれど、

強がっていいとこ見せようとか、小細工小細工?



まあ、それでもいいです。



あるいは、前記事とかは、そんな自分へのエールみたいなものかもしれないですね。









ここから一つだけ津留さん関係の話題です。







津留さんの、『多くの人が、この本で変わった。―津留晃一コンセプトノート―』
の巻末に掲載されている、

あまちゆうとさんの言葉「津留さんに捧ぐ」より。





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津留さんは、本当に安心したかったのだと思います。そういう意味で、本当に人間らしい人でした。
そして、その人間らしい〈弱さ〉が何よりも好きでした。

その弱さがあったからこそ、津留さんの前では、自分の弱さをさらけ出すことができました。そして、その弱さも何も問題がないことも知りました。



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感動神経がけっこう鈍い僕ですが、この文章を二回目に読んだ時に、響くものがありました。(特に前半分の文章)


津留さんに語りかけるあまちゆうとさんの言葉も、優しさを感じます。




人への優しさに欠ける自分を創造するのがやたらと得意な僕ではありますが、


それを実感していたからこそ、響いたのかも知れません。







津留さんのメッセージに触れることができて、よかったという気持ちです。







津留さんと僕、というほど大それてはいませんが、またまた書きたくなったわけでした。