3月11日金曜日に起こった地震の揺れは
わたしがいままで体験した中で
一番長くて
一番激しい
恐ろしい揺れの繰り返しでした
勤務していたビルは直ちに封鎖となり
外へ出てみると
駅前は
帰宅する手段に戸惑う人、人、人
信号は止まり
道路整理をする警察官の笛の音と
大渋滞の車
歩いて歩いて 自宅にたどり着き
家族5人揃ったとき
どんなに どんなにほっとしたことでしょう
停電中のため
キャンプ用具のランタンとキャンドルの灯りの中
友人たちがくれたメールに
大丈夫だよと返信し
ラジオからの情報の
震源地は宮城沖の意味も把握できないまま
警報の音と余震にびくびくしながら眠ったのです
土曜日、
朝 4時半すぎに停電解除となり
テレビをつけて愕然としました
わたしたちの恐怖など
比べものにならない地震の恐ろしさ
津波の被害にあった海沿いの町
夫の会社の仙台営業所のある場所
かけても かけても繋がらない電話
増えていく不明者の数
波にさらわれた家々の映像
地震直後の安否は確認できたものの
津波の後に話した人は?
悪い予想をなんとか打ち消し
長い長い 12時間
夕方 ようやく従業員の方々の生存が確認できました
日曜日の朝5時
おっとはJRで宇都宮まで行き
宇都宮からは
車で仙台へ向かいました
従業員ご家族の安否を確認し
復興のお手伝いをするために
余震 原発の不安
瓦礫となった町
津波に奪われた命
テレビの映像を見て
食事ができることを申し訳なく感じたり
胸が苦しくなって 泣いたりしているだけじゃだめ
今のわたしがやるべきことは
おっとが安心して 留守にできるように
子どもたちを守ること
より早い復興を願って
微力でも節電や協力を惜しまないこと
災害に見舞われた方々が
お風呂に入って
家族で食卓を囲み
暖かいお布団で眠る
そんな日常へ戻られる日が
一日でも早く訪れますよう
切に 切に願っています