思いしことども | カメロンのブログ

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本日は晴天なり。
九州は梅雨入りしたようですが、東京は猛暑でございました。
今日もフラメンコの自主練習へ出かけて来ました。
もう汗だく。
自分の無駄なものが出て行ったような、最高の気分です。
新陳代謝を肌で感じられるこの季節、わたしは好きだな〜。

さて、最近は悲しいニュースが多いですね。
それに対してどう思うか、どう発言するかについても、盛んに討論されている。
どう思うのかは自由だと思う。
どう発言するのかは、そこに責任が伴うとわたしは思っている。
それが曲解される場合もあるけれど、曲解される隙があるということ。
人に正確に想いを伝えるには、言葉力が必要だなと痛感する。
被害を受けた方に想いを寄せるのも大事なことだと思うけど、誰かを責めるのは簡単なことだと思う。
わたしは今、自分でものを考え、なるべく人を傷つけずに、自分の信じる道を進んでいるけど、
それがどれだけ幸運なことかとも思っている。
自分の生まれた場所が違っていたら、育つ環境が違っていたら、どうなっていたか自分でも分からない。
悲しいかな、人生において選べないこともある。
いろんなことに想像を巡らせると、何も言えなくなってしまうというのが正直なところかもしれないなとも思う。

日本は狭い。
ご近所さん文化だ。
そういう文化を持つ人たちがインターネットで人と繋がるから、ややこしいんじゃないかとも思っている。
日本には八百万の神がいるけれど、無宗教だったりもする。
だから匿名で罵詈雑言を言えるのかな。
バチが当たるという感覚はもうないのかもしれない。
汚い言葉を使うと自分の中身が汚れていくと思うわたしは、もはや時代に取り残されているのだろうか。
昭和の時代は、もっと<恥>を大事にしていた雰囲気があったけど、今はどうだろう?
そんな感覚は薄れて来ているのだろうか。
いろいろ考えてしまう。
人が生きている意味というのはどこにあるのか。
意味を探すことに意味がある。もしくは意味がない。
人は生きていること自体に価値がある。
その価値に気付けるかどうかが一番大切なのかなと思う。
昨日、「いだてん」の後のNHKスペシャルで安楽死のドキュメントをやっていた。
わたしと同世代の女性が、全身に力が入らなくなる病気にかかり、
闘病の中、安楽死を選び、スイスで姉たちに見守られながら息をひきとるまで。
彼女はいろいろやってもらっても「ありがとう」と言えなくなることが辛いという。
何度も自殺を試みるも失敗する。
だからこそ、周りも本人の意思を尊重していた。
本当にそれで良かったのかと思いながら。
見ていて、胸が詰まった。
日本でも安楽死が認められたらいいとは思わなかったけど、わたしならどうするかなとも思った。
スイスで安楽死を選ぶにもお金が必要だ・・・ともリアルに考えた。
難しい問題です。
今までの自分の経験だけでいうと、わたしは父が亡くなるまでの7年の介護生活が、
自分を強くしてくれたとも思っていて、
主に介護をしていた母は、「なんて頑固なの!?」と冷たくしていた父に対する罪滅ぼしだと言っていた。
あの7年がなくて、急に父が亡くなっていたら、わたしも母も悔いが残っていたように思う。
誰も「ありがとう」なんて言葉は必要じゃなかったし。
母は母で「白髪があると、いかにも大変そうね・・・と思われるのが嫌だ」という理由で、髪を染め始めた。
いいことばかりじゃなかったけど、幸せだなと思うことも多かったなあ。
リアル命の授業だった。
何が正解で何が間違っているかなんて、誰にも分からないということです。

思わず真面目に書いてしまったけど、なんとなくずっともやもやしていたことを
よっぽど吐き出したかったのかなと我ながら思う。
ちゃんと伝わらなかったとしたら、わたしの言葉力不足です。