今、思うこと。 | カメロンのブログ

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熊本とエクアドルのことを思うと、言葉にならない今日この頃です。
テレビ画面の上部に出る地震速報を見るたび、胸が締め付けられるようです。
怖いだろうなぁ。
自分にできることはなんだろうと考えさせられる毎日です。
そして、世の中に横行する奇妙な正義感に辟易します。
これ以上、被害が大きくならないことを祈る気持ちを持たない人は少ないと思う。
それなのに、誰かが地震にまつわる何かを言うと、インターネット上では炎上することが多い。
もちろん不適切なことがあるからだとは思うけど、誹謗中傷しすぎではないのか。
イメージという形のないものは、伝播しやすい。
インターネットを飛び越えてしまうことも多い。
そして、人々に「生きにくい世の中になったものだ」と思わせる。
でも、ちょっと待って。
奇妙な正義感をふりかざすのって、一部の暇人でしょう。
多数の人は、「それより他にやることがあるだろう」と思っているとわたしは信じています。
声の大きい人が支配する世の中になりつつあることが怖い。
それこそ、奇妙な正義感の思うつぼ。
・・・って、そんな風に思うわたしも暇なのかもしれないけれど、
どうしてもどうしても言いたくて、書いた次第です。

基本的にのんきに生きているわたしですが、
時々は真剣にものを考えることがある。
因果応報という言葉。
いろんな事件のニュースを見ると、人は因果応報を求めているんだということが分かる。
夜の街をうろついたから、事件に巻き込まれた。
両親のネグレクトが犯罪者を生んだ。
そんな原因を見つけたがっている。
なんの咎もないのに被害に遭うという事実は、万人に起こりうるということに繋がる。
それは明日の自分に降りかかることかもしれない。
それが怖いから、人は因果応報を求めるのではないかと私は思う。
そして、今回の震災。
絶対に因果応報ではないと思う。
これこそ明日の自分に降りかかることだ。
怖い。
でもそれは生まれた時から決まっていること。
ある九死に一生を得た作家は、生きるか死ぬかは運だと言っていた。
本当にそうだと思う。
子供のころからおっちょこちょいだった私は、車に牽かれそうになることもあった。
ほんの一秒のタイミング。
わたしは、小学生の頃から、一秒の差が生死を分けると思っていた。
そんなわたしが42まで生きてこられたのは運が良かったからだと思っています。
だからこそ、毎日の暮らしを大切にする。
それに尽きると思う毎日です。

震災のニュースを見ながら、真剣に焼いたパンは、
ちょっとしょっぱい味がした。