優しさのうらがえし | カメロンのブログ

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私は同情されるのも、するのも嫌いだ。
同情するなら金をくれと言った家なき子はえらいと思う。

唐突にすみません。
思うところがあって、今夜は観念的なことを書きます。

私は幼少の頃から、はねっかえりだったので、
昔から「かわいそう」と思われることが嫌いだった。
なんでだろう?
よくよく考えると、育った環境かもしれない。
例えば、道端でこけて、痛くて泣いた時、
「大丈夫?」なんて優しい言葉をかけてもらった覚えがない。
たいてい、「泣くな!」と怒られていたような気がする。
ドアに指を挟んでも、「大丈夫?」の前に
「気をつけろ」と怒られていた。
自分の身は自分で守れということなのか。
よく分からないけれど、それが当たり前で育ってきた。
今考えると、優しくない鬼母めとも思うけど、
そのおかげで、なんとなく自分で立ち上がる力を得たような気がする。
人生は生易しくはないのだ。
それを母は体感させていたのではないか。
そう思うと、感謝の念でいっぱいだ。

自分が弱った時、どうして欲しいのか。
「辛いでしょう?大丈夫?」と言われるのは、(言われたことないけど)
なんかちょっと違う気がする。
優しさが重たい時もあるのだ。
いたずらにプライドを傷付けることもあると思う。
ただ、そこにいてくれるという雰囲気だけでいいかもしれない。
話を聞いて欲しい時に、いつでも聞いてくれる人がいるという
安心感だけで、私は救われる。
何年も前、本当に切羽詰った時、
号泣しながら話す私の支離滅裂な話を、
何も言わずに、ただ相槌を打ってくれた友達がいる。
本当に救われた。
助けてもらってばかりで、私は何もできていないことに
すごく悔しい思いがする。

みんなはどうなんだろう。
友達が一人で苦しんでいる時、どんな言葉をかけたらいいのか、
言葉などいらないのか、いつも迷う。
迷って、いつもメールを送らず、念だけを送る。
変かな?届かないかな。
あなたなら、弱った時に「大丈夫?」って言われたい?
私は、「あなたなら大丈夫」って言われたい。
人それぞれだよね。悩むわ。
同情ではない、さりげない心遣いって、
私のような偽善者には難しい。
う~ん。
とりあえず、笑っとこう。
自分の非力さも含めて。