・ふんぎりがつかない

自分は近眼なので大抵眼鏡をかけている

(外出時にかけない時もある)

そのメガネ、かなりぼろぼろになってるので

新調したいんだけど、「完全に使い潰す」つもりなので

いつまでたってもメガネが新調できない。

新しい眼鏡は既にあるんですよ。

しかも去年購入。でもまだ使わずにしまってある。

(使用中のくたびれたメガネ。レンズも細かい傷でいっぱい)

顔へのフィット感や長年使ってきたことへの愛着があり
なかなか新しいメガネに切り替えることができない・・・
なんかこう、自分の顔の一部として魂すら宿ってるような
*なに戯言言ってんだ、という感想も出るかと思いますが
日本では付喪神の概念があるし
だいたいモノを大事に扱うことの
何が悪いんだいと開き直ったりして真顔
ライアル・ワトソンの著作「シークレット・ライフ」にも
こういう概念(モノに生命が宿る)が述べられている。
 
10年以上使ってるので
(そして幸いにも視力は当時から悪化してないので)
フレームが金属疲労で折れたり修理不能になるまで
使ってやろうか、とも思う。

 

おまけ:今日の買い物帰りの公園で。

ハクモクレン(白木蓮)のふさふさの蕾

 

・軽い絶望

久しぶりにミスった

台所には缶切りが置いてない。

缶切り自体は所持している、けれど

4年前の引っ越しのときにどこかにしまい込んで

そのまんま未だに荷物のどこかに紛れている。

めんどくさがらずに出しとけよ、と自分でも思うけど

大抵の缶は、プルリングがついてて

指引っ掛けて開くようになってるので

缶切りを使う場面自体がなかった。

で、さっき開けようとしたらこのざま💦(右

しょうがないので、画像左の鯖缶を開けて食べました

 

 

・起き抜けの脳内に流れた曲

自分の体質で、

不調期が長く続いてそれがようやく安定しかけた時に

急に何かしらの音楽が強迫的に脳に流れることがある。

振り払おうとしても脳内に強制的に流れる。

いわゆる「イヤーワーム」現象の、もっと癖が強いVer.

今朝起きてしばらく布団の中でグダグダしてたら

この曲が急に脳内に流れた。イヤミか。

 

 

・バートランド・ラッセル

今日2月2日は、数学者・哲学者・倫理学者の

バートランド・ラッセルの命日です。

自分はまだ脳が柔らかい若い頃(十代後半)に

この人の著作を読んでおいて良かった

(ある意味助かった)と思ってる。

代表的著作「幸福論」の中の

「不幸な人間は、いつも自分が不幸であるということを自慢しているものだ。」

という一文は、襟を正してしまいます。

知らぬ間に自分の境遇や過去の体験を

見せびらかすような心理になるのは

メンヘラあるある💦

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手垢で汚れ背表紙も擦れてボロボロの

「ラッセル 思想辞典」。

先日日曜も一日部屋に籠って

ゴロゴロしながら読んでました。