昨年の誕生日は、病院で迎え
その頃からなんとなく記憶があります。ようやく意識もしっかりしてきた頃でした。
この頃には食べることもできたので
看護師たちが、夜にわざわざケーキとお菓子と
Happy Birthday (my name)とプリントされた紙を用意してくれて、
みんなで病室に来て、お祝いしてくれました。
すごく嬉しかった。
そこまでしてもらえるなんて私はとても幸せですよね。
私が助かったこと、回復してしゃべったり歩けるようになったこと
そのことをとても喜んでくれていました。
とはいえ、まだおかしかった頃…
頭打ってるどころじゃなく、頭蓋骨が折れてるので
仕方ない。
そこから回復しただけでも、凄いこと。奇跡的。
生きててよかった。
昨年は、なんだか嬉しい気持ちを表したかったのだと思うけれど
事故後、突然ブログをアップして
意味不明なことを書いて、「でも、頑張ります!!」
それは、後でブログ読んでくれてる友達からも聞いて
当時の彼氏に言われて直されました。
(私はおかしいのも思い出、ってことで放置しようとしてたんだがww)
「今、色々大変です。でも、頑張ります!」に。笑
いきなり、入院中です!と書くし、意味不明でもって
なぜそんなおかしい状況の私がネットに繋がる携帯を持っていたのか…
私が喋れず大事大事にして離さなかったらしいんですね。
なんでだよ、自分...
もうわからない。そして、記憶がない...
でも、事故以前のことは記憶がしっかりあるし、
頭を打った場合は性格が変わることもあるらしいが私は変わっていないし、
親も医者から聞かれていましたが、変わっていないとのこと。
本当に奇跡みたいなことだ。
命、大切にしていかないといけませんね。
今日はたまたま休みで
昼ごはんは、お赤飯でした。
「誕生日だからお赤飯?」
と聞くと、
私が最近おこわが食べたいってずっと言ってたので
買いたかったけど、もう売れてなかったとのこと。
かわりにお赤飯にしたとのことだけど、
(別にわざわざそれにしたわけじゃないけど)
それでもふさわしいくらいのことだよねーっと。
それくらい、私の命って重いんだ...と改めて思う。
いやなことがあったとき、
「もうあのまま生きてなくてもよかった…」なんて言ったときの、
当時彼氏の怒りようは、すごかった。
今までで一番怒ってるのがわかった。
普段が優しいからすごくわかった。
「みんなに謝れ」
私を心配してくれたみんな、お医者さん、ナース、アシスタントナース…
みんながいてくれたから、今、私はこうして生きています。
だから、もう生きてなくてよかったなんてことは、決して言いません。思いません。
助けてもらったことに感謝して、感謝しきれないけど
精一杯生きていきます。
今日はケーキを買いにいきました。
もうホールは買わないけどねん

私は日本の製菓の資格を持ってるし、もちろん実習もしてるんだけど
果物が苦手です。
信じられないレベルのことでしょうが
そんなわけでチーズケーキ。
もう年とるのはいやだけど
生きることのすばらしさは忘れず、感謝の意味でも
これからも自分の誕生日はちゃんと祝います。
この1年は
日本に帰って退院後、リハビリ開始して
リハビリ卒業して仕事をなんとかできるようになって
今に至る。
なんだかあっという間だったなぁ。
日本は寒かったから、
しもやけにはなったけど
風邪は一度も引いていないし、病気も一度だってなく。
今もものすごく元気だけど、来年半ばには手術もして、
また保育士もできるようになるかもしれないので
状況も変わるかもしれません。
その頃までこの留学ブログを続けているのでしょうか
もともと帰国した時点で終わりだよなあ、って思ったのに
まだアリゾナやアメリカ生活で書くこともけっこうあって
下書きは全然アップできてないし
とんでもなくマイペースでやってたら一向に進んでないし
さて…どうなることやら??もうわかりません
とにかく、この1年もしっかりと生きていきます。
と、無理矢理おしまいにしちゃうの巻