【反原発デモ】見るは容易く、やるは難し | AQUOSアニキの言いたい放題

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徒然なるままに俺自身のネタや、政治・社会ニュースへの辛口コメント、最近観た映画の感想とかを書き綴ります。

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まず、このテーマの記事を書くにあたって、俺が反原発か否か、どちらの考えなのかを答えるとするなら、『どちらでも』と答える。中途半端で申し訳ない部分があるけど、日本に住む人間の生活を支えてきた電気の主幹部分の原発を、ハイ全て廃止しますと結論づけるのは危険な気がする。それでいて、被災地の環境被害が向こうン十年住めなくなったという点で、本当に原発に頼るのは良いのかという疑問も残る。

どっちつかずな形だが、代替出来るものがあるなら廃止してもいい。それが無いなら減らしつつ維持していく方向で考えるべき。何の代替案もなくとにかく廃止だ廃止だと、デモに参加する人達に賛同、とは思わない。

…が、こうも考える。俺は傍観者で、デモに参加する人達は行動を起こしている。傍観よりも行動が優先されるのは世の常。傍観するということは他人が作った流れに身を任せているだけなのだ。そう考えると、是非の判断は出来ないにしても、行動力そのものには感嘆したい。

ところで話題を少し変えると、例の傍聴会、電力会社の社員が参加していた件についてだけど、あの雰囲気は異常だと思う。
ヒステリックな反対派ばかりで、反対ありきな雰囲気はどうかと思う。何のための会なのか目的を見失っているように見える。
社員が話をしてナニが悪いのか。現実逃避な感情論が独り歩きしているようで、自由闊達な議論など出来そうな雰囲気にはとても見えない。
放射能による直接的な被害で死亡した人間は一人としていないという話は、本当なのだろう。
少なくともあの社員の話ぶりから見て、きちんとしたデータに基づいた話で、嘘やごまかしがあるようには見えない。
だからといって東電の過失を認めるわけにはいかないけど。
だから、社員が参加してもいい、というのが俺の考え。その中で結論を出すのが話し合いと言うもので、自分の気に食わない論以外は排斥する考え方はどうかと思う。
その中で考えていこうじゃないか、そんな風に思う。