結論から言えば、直る。直せる。
俺の場合、「気合」とか「根性」「やる気の問題」みたいな結論付けが大嫌いで、そんなこと平気で言う奴はパイを顔に押し当ててもいいくらいだと思っている。
驚くことに、小学生の自分は緊張知らずだった。怖いもの知らずと言っていいほど、「教科書読んで」と先生に当てられても平気で読めたし、発表も他人の目なんか気にしていなかった。
今はどうだろう?話し方の教材を音楽プレーヤーに取り込み、こっそり聞いている有様だ。家族の前でも教材を声に出して読むなんて、恥ずかしいと思ってしまう。でもそれが普通だし、当たり前のことだと思っている。他の人よりも成長が遅かったとか、あるいは既に歩いていた道を今更になって歩いていると考えればいいのかもしれない。
前置きが長くなったが、「他人の目なんか気にするな」「家族と話していると思えばいい」みたいな精神論はここでは言わない。
あがり症の対策で必要なのは、声を出す習慣付け、大きさや音程の矯正(声は大きく、普段よりもやや高く)、そして継続する時間と設備だ。
手元にある教材や、ネットの記事や書籍などを見ると、ほとんどがこれに費やしている形になる。声を出すことに慣れてもらい、大きさや音程を矯正するということに関して有効なのは、音読・朗読だ。
単純に随筆や長文を読むだけでは効果がなく、抑揚をつけて感情を込めて読む。どちらかというと役者が台本のセリフを覚えるために声に出して練習するイメージに近い。もちろん俺は役者ではないし、演技など生まれてこの方したこともない。
音読・朗読するネタとして有効なのは、やはり会話形式のものだろう。極端な話、会話ならばなんでもいい。
トーク番組のゲストとのトークだろうがドラマだろうが、あるいはスポーツ中継の実況と解説とのやりとりでも構わない。ネタは無数にあると言っていい。
そして最初はマネる。話した内容を輪唱のように真似ればいい。これはシャドーイングといって、れっきとした手法なのだ。お手本を真似ることは、決して悪いことではないし近道なのだ。
自分の生活を見直してみる。そうすると、案外会話が少ないことに気がつく。会話が少ない生活に慣れすぎて、会話を進める習慣が失われたのではないだろうか。習慣の喪失が今の自分に繋がったというのなら、これはとてもキツいことだ。改善には時間を要するし、それなりの環境も必要だ。時間と設備という意味で、必要なことだ。
とにかく、早く改善したいので積極的にやってみよう。