
恥ずかしいことに、小学生中学生の頃は感性ゼロだったと言わざるを得ない。図画工作とか絵なんてたいした成績残してなかったし、上手い奴が描いてるようなものが真似出来たらいいなぁとか、表面的なことしか願望として無かった。
高校生のときは、数学とか物理にのめり込んだ。無駄が一切無い美しさ、一片の曇りも許さない完璧な公式、その証明方法に心打たれた。でもそれだけじゃ不十分だった。
高校生、大学生の頃は、こんな風に思ってた。『数学に比べたら、絵だの音楽だの芸術なんてたかがアナログの世界。そこから読み取れることなんてたかが知れてる。評論家と名乗ってるオッチャンオバチャンが好き勝手に言って、それをみんなが乗っかってるだけのくだらない世界。自分の意見を持たない奴らが、周囲に流されて満足してる。そんなモノより、無駄も曇りも一切ない完璧な数学の世界のほうが魅力的じゃないか』
そんな風に思ってた。
でも違ったんだな。本当に芸術に賭けてる奴は、表面的な技術じゃなくて、何かしらのメッセージを形にしてる。それが、メインとなる場所とは限らない。歌のサビとは限らない。絵筆の動きや色の混ざり合い、流線1つ1つがメッセージなんだ。気づくのが遅すぎた。分かるのが遅すぎた。
そうか、芸術を観るってそういうことだったんだ。感性に気づくのが遅かった。成長してなかったんだな。最近そう思った。