引用元:(産経新聞)母親の鑑定目的は「多重人格」の有無 大阪2児遺棄
「事件についてはよく覚えてない」っていうのは交通事故にしろ、傷害事件にしろ、よく聞かれる供述なんだけど、こういう事件については犯行を行ったことは事実。
社会への警鐘だとか、再発防止とかの目的で原因を探って対策を練る、という観点なら原因究明は必要なんだけど、こういう事件に原因がどうとかって合理性を求めすぎている気がする。
所詮人間のすることなんだし、人間がつねにいつも理に適った行動をするとは限らないでしょ。怒りに身をまかせて普段じゃ考えられない行動をとったり、悲しすぎて通常ありえない行動をとったりすることだってある。
この事件に関していえば、「多重人格」だったから、っていう理由を無理やりこじつけているような気がするんだよね。原因を探って再発防止をする、っていう目的だったはずなのに、なんだかんだで理由をつけて原因を作るっていうことが目的化しているような気がするんだ。
「多重人格」であることと、犯行を行ったことは直接関係ないんじゃないの?
行動を起こしたことは全て本人の責任なんだから責任だけを問えばいい話じゃないの?
事実は認めているのなら、その事実について追及すべきであって、原因を無理やりこじつけるのは無駄な作業のような気がする。
人間が常に最適で無駄を省いた合理的な行動をとらない、実はイイカゲンな生き物だってことが抜けている気がする。鑑定は無駄な作業だと思う。