『前例主義』と『裁判員裁判』 | AQUOSアニキの言いたい放題

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またまた裁判員裁判ネタ。
俺の勤め先、これまで派遣してきた会社でもよくある話で、皆さんの会社や自治体、役所などでもままあることなのだが、『過去そうだったから』という理由で、妥当性もほとんど検証せずに、まるでこれが至極最もな理由だと言わんばかりに、意思決定されてしまうことがないだろうか?

前例にのっとって意思決定されてしまうことを『前例主義』と言う。

裁判員裁判が導入される以前、裁判は『判例』にのっとって判決を下してきたというくだりがある。
これも『前例主義』の典型例だと言える。

俺はこの『前例主義』の思考まみれになっている裁判官の意思1つで裁判員裁判の判決が歪められていないのか疑問に思うのだ。

裁判員からすれば、裁判官はいわゆる裁判、法律のプロであり、その言葉1つで安易に納得しがちになってしまう。
たぶん俺もそうなってしまうだろう。
これで『市民感覚を裁判に導入する』という裁判員裁判本来の目的を達せられると言えるだろうか?

俺は『裁判官』はあくまで法律的な観点での助言、裁判の争点に関する助言に留めて、あくまでも中立的立場を貫くのみに勤め、判決の採決に介入してはならないと考えている。

量刑に関しても、法律的な面での助言をするだけに留め、採決で裁判官は発言すべきでないと思う。

良くも悪くも、裁判官は前例主義の権化と言えるし、その前例まみれのプロが採決に介入するのはいかがなものか。

しかしながら、会社や自治体などが前例を採用しがちになるのは理由がある。
意思決定のスピードが早いからだ。案件をいくつも抱えている場合、前例に従っておけば、処理の回転が早まるからだ。

日本人という人柄は良くも悪くも周りに流されやすいという傾向が強い。
前例主義が会社や自治体で採用される理由の1つにはこういうお国柄も理由の1つだろう。

俺は裁判員裁判の導入背景だとか、そういう部分では賛成したい。
だけど、『前例主義』の懸念は消えない。
裁判官は、非常に多くの裁判を抱えている。
出来るだけ早く判決まで持っていくには『前例主義』を採用せざるを得なかったのだろう。
だがしかし、この『前例主義』が、裁判員裁判本来の目的から遠ざかっている原因になりはしないかと、俺は心配するのだ。