誰でも自転車押して歩けると | 瞳リン・台無し研究所~鯛兄堂ブログ~

誰でも自転車押して歩けると

思ってんじゃねえ。

と、言いたい。

というのは、何かというと

最近、なんか、いろんなところで、「危ないですから自転車は押して歩いてください」と、アナウンスしてることが多い。

しかしだ

自分は最近、足の状態がかなり悪く、押して歩けないわけではないが、足に変な力がかかるようなことをすると、そのうち痛くて歩けなくなるので、とても困るのだ。

自転車に乗って走るのは、各関節に体重がかからないので、全く問題ない。

また、歩行者をとても優先(それが道交法)しているし、スピードもむやみに出さないし、危険な追い越しなど絶対にしないし、歩道の歩行者にベルを鳴らしたりも絶対しない(これもやってはいけないこと)。

バランス感覚や熟練なども合わせれば、かなりうまいほうだと思う(そう書くと、そういう自信のあるやつが一番危ないと、かんぐる天邪鬼がいると思うが、けして自信満々で走っているつもりは無い、むしろ、細心の注意を払っているつもりである)。

押して歩くようなところは、跨ってはいるが、足でけって歩行者と同速で進むようにしているので、間違っても歩行者にぶつけないよう、気を使っているのである。

それなのにだ。


そういうところで、誘導している警官じゃない人たち(主に老人再雇用系?)は、とにかく、しつこい。

けって進んでるのに、おりろおりろと連呼する。

こっちには事情があってけって進んでるのに、誰もが押して歩けると思ってやがるバカども(失礼)。

自分らの動線作りが悪くて、そういう羽目になってるのにもかかわらず、注意する権力を与えられたかのごとき振る舞い、礼の精神を忘れたうつけの言いなりになるとは、口惜しや。

なのでこれまでは、無視したり、痛くならないよう、ところどころ降りて仕方なく押してたが、今度からは、はっきり言うつもりだ。


「足が悪くて押せないから、どうしてもと言うなら代わりに押してくれ」




と!言いたいが、やはり言えぬ事情・・・それは、自分の見た目が、どう見てもそういう病弱に見えず、嫌なやつが因縁をつけてるようにしか見えぬと、思しきところである。

すなわち、そういうことすると傍から悪者に見えるのはどうみてもこっち。

無念。


しかし、先々週行った、世田谷の祭りなんて誘導がクレージーで、ちょっと迂回させれば、押して歩かなくて済むのに、何も言わないで中に入れちゃって、延々歩かせる(押して)。

ひどすぎ。

あの後、祭り見物中足がマジ痛くなっちゃって、引きずって歩く羽目になったし。
もし自分がクレーマーだったら、診断書とって、祭りの主催者にねじ込んだりしたらどうするつもりなのだ(クレーマーじゃないので、そんなことしませんけど)。

バイクはともかく、自転車の法規では、25メートル以上押して歩けないヤツは乗ってはいけないという条文はない(ないよね?)ので、こちらは間違っていないのである。

ということで、押せないやつもいるということを、ここに書くことで、草の根啓蒙活動とする。



なぜおおっぴらに訴えないかというと、奥ゆかしいバカで、内弁慶なので、こっそり言いたいだけだからだ。

完全に自分だけ思ってるのもつまらんが、世論を動かしたいとも全く思わん。
なので、効果はないし、意味も無いのはわかっているが、とりあえずここにだけ書いておいて、ああ、あのときあんなの考えてたなと、思いたいわけだ。

自分はクイズ番組が結構好きだし、わりと答えられる人だと思うのだが、回答がわかったとき、あーわかったと、一人納得していても、何も言わんとまわりの家族から、ホントにわかってたの?と、疑われるかもしれん。
なので、一応、わかったことがわかるよう、答えの一文字を言って置いたりする(前は、回答そのものを発声しちゃってたが、それだと、他の者が考える楽しみがなくなるので)。

それと同じで、こういうの考えたということを、表明は一応したいが、大きくはしたくない、本人の未来への答え合わせみたいなものである。

また、いまんとこクソなことしか書いたことないけど、もし偶然素晴らしいことが書けちゃった時に、なにかやる気のある人の目に留り、大いに共感して広めてくれたとしたら、それはそれでよいことである。

そんな感じでこそこそ書いてます。
他に書き込みも同様。