「出血の原因が分からないので、再出血の可能性を考えて、何日かICUに入ります。」
そう医師から告げられた。
ICUという言葉に、少しショックを受けつつも、私は安心した。
正直、今の状態で夜を越すのは不安で不安でたまらなかった。
せっかく用意してもらった荷物をまとめ、息子はICUに移った。
付き添いは禁止で、面会は1日に二回。二時間だけ。
緊急の手術に備えて絶食。
点滴から栄養と、痙攣止めの薬をいれて様子を見る。
何かあった場合は、ケータイに連絡をくれる、ということだった。
「ここなら24時間体制で見てくれるんだから、絶対大丈夫!」
と旦那は言った。
しかし、産まれてから片時も離れたことなどないのだ。心配でたまらない。
おまけに原因不明の出血。いつおこるかわならない痙攣。
最悪の場合には…
病院を後にしてからもずっと、気を緩めると涙が止まらなくなりそうで、手を握り締めて必死に耐えていた。
義父母も、努めて明るく振る舞おうとしてくれたが、それができない私は、かなりふてくされた嫁だったと思う。
また、この頃にはすっかり結節性硬化症やてんかんのことは頭から抜けていて、脳出血の原因がなんのかということを、ぐるぐるぐるぐる考えていた。
夜は病院から30分の、旦那の実家に泊まった。
息子のいない夜は、産後では初めての、とても静かな夜だった。
私は病院からの電話が鳴らないよう祈りながら、ケータイを握りしめ夜を越した。
息子が戻ってきたらちゃんとおっぱいを沢山飲ませてあげれるよう、
おっぱいが止まらないよう、
3時間おきにアラームをかけ、搾乳した。
アラームの必要はなく目は覚めた。
母の抱っこじゃないと絶対寝ない息子が、今この時も泣いている気がして、
お腹を空かせて泣いている気がして、
また我が子におっぱいをあげることができるのかどうかもわからない絶望感の中、
薄暗い部屋でむなしく乳を絞りながら、一人泣いた。
朝になった。
病院からの電話は鳴らなかった。
面会時間を待って、病院に向かった。
ピッピッピッと規則正しく心拍数を知らせる、必要以上に大きなモニターの下、
大人用の大きなベッドの上に、
息子はちょこんと寝かされていた。
「こうしてないと、お腹が空いて泣いちゃうからね。ごめんね。」
息子の口には、哺乳瓶の口の部分が、テーピングで張り付けられていた。
息子は空のおしゃぶりをちゅぱちゅぱしながら、点滴と心電図のコードにつながれ、ぼーっとどこかを見ている。
話しかけても反応はない。
目は不自然に左に寄り、たまにカカカっと揺れる。
「夜はしばらく泣いてたけど、痙攣はなかったですよ。」
看護師さんの言葉に少し安心する。
私は気が抜けて、しばらくベッドの横に腰掛け、意味もなくパタパタ動く息子をぼんやり見ていた。
旦那や義父母が反応のない息子に話しかけている。
しばらくして、息子が泣き出した。
お腹が空いたのか、泣きながら私の方を見ている。
私は、旦那と義父母の前で初めて泣いた。
先生から説明があり、血管の異常の可能性が高いことを告げられた。
今は出血している様子はないが、一ヶ月ほどみて出血が引かなければ、原因は特定できないそうだ。
一ヶ月は、いつ何があるかわからない、原因もわからない、このもやもやした不安な気持ちのまま過ごさなければならないということだ。
その後、息子はICUに三日間入院し、
私は三日間の眠れぬ夜を過ごした。