年寄りに愛犬を託すと | タンタンとパパの子犬の社会化ブログ

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犬や猫を大切に育てている皆さんにとって、

愛犬・愛猫は家族でしょうね...

 

私だって同じです。

 

家族である犬や猫が病気や事故に会えば、

どんなに費用がかかっても助けたいと思います。

 

もし、数千円で買ったハムスターでも、

家族だという感情移入ができてしまったら、

何万円もかかる手術でも、それで助かるなら獣医さんにお願いするでしょう。

 

でも、昔の倫理観で育ってきた老人たちにとって、

それは馬鹿げた行為でしかありません...

 

 

皆さんのご両親は何才くらいですか?

 

 

ご両親や祖父祖母が80才以上であれば、

普段いかに可愛がっているように見えても、

手術費用が数十万円と聞いた途端こう言うかもしれません。

 

「犬や猫は人間じゃないんだからそんなにかけるもんじゃないわよ。

 新しい子を買えばいいでしょう。その費用なら母さん出してあげるから」

 

普段どれほどあなたに優しくても、

どれほど愛犬・愛猫に優しく接してくれていても、

老人たちは彼らが育ってきた環境や教育方針で、

動物に対する感情移入が今の人たちと違っています。

 

私の両親はいまだ健在でタンタンを可愛がってくれますが、

これからかかるであろう手術の費用を話すと、

自分が払うわけでもないのに、

 

「犬にそんなお金をかけるのは馬鹿げてるよ。常識で考えなさい。死ぬときゃ死ぬのよ 」

 

などと言います...

 

 

私たち世代とまるで感性が違うのです。

 

 

そういう人たちが老犬を引きずるように散歩させていたり、

炎天下のアスファルトの上を平気で歩かせていたり、

軽トラックにリードを結びつけて何キロも走らせたり、

飼うのが大変になってきたからと保健所に連れてきて

「殺してくれ」などと平気で言ってきます...

 

 

でもそういう感性や倫理観の違いに対して、

怒ってもしかたがないことです。

 

昭和の大人だった今の年寄りたちの目から見た犬猫は、

さらにその親から刷り込まれた『畜生』(ちくしょう)でしかないのですから...

 

 

なぜ日本では動物がモノ扱いで、

どれほどひどい扱いを受けていても、

警察が飼い主から取り上げ保護できないのはなぜかといえば、

すべての業界のトップに君臨する年寄りたちの感性から見れば、

「たかが犬猫のこと」だからです。

 

 

動物福祉がどうの、先進各国ではどうのと言ってみても、

彼らにとっては人間の利益が優先で、

内心は犬や猫ごときのために時間をかけて改正法案を検討するなど無駄で馬鹿げたことだと思っているでしょうね。

 

動物の権利などに時間を使って真剣に考える感性など持ち合わせていないのです...

 

 

もちろん個人差はあります。

 

これは言い過ぎだと思う人もいるでしょう。

 

年齢によるものではなく、

動物に対して冷酷な人たちはどこにだっていると思うかもしれません。

 

単なる一部の年寄りに対する偏見で終わればいいのですが、

高齢者は人の感受性を決める子供の時期から、

「犬や猫は感情などなく、大して苦痛も感じず、記憶力も乏しい不潔な生き物」

と親や先生、周りの大人から教え込まれてきました。

 

刷り込まれた価値観や感情移入能力はなかなか変わるものではありません。

 

 

それが常識だった昭和の時代に生きてきた年寄りたちには、

なにを非難されているのかさえ分からないくらい感性がずれてるんです。

 

若い人たちの気持ちは分かっていても、

戦中戦後の厳しい時代を生きてきた人たちには、

飼っていた犬猫を食料として供出(きょうしゅつ)したり、

空腹に負けて食べてきた記憶に罪悪感を感じないように

感情移入にストッパーをかけてきました。

 

動物に人間同様の情けをかけたり、

権利や愛情を認めたりすることことは

自分たちの行ってきたことを罪悪と認めることに

なってしまうのです...

 

 

私は動物たちを悪気なく苦しめ、

無情に殺す大人たちを

あまりにもたくさん見てきました...

 

虐待を見て見ぬふりをする大人たちを

たくさん見てきました...

 

 

愛する犬や猫を老人たちに託してはいけません。

 

見えているものがまるで違うのですから...😞