現在78歳の私ですが、ボランティアをしているダイビングショップの日本語の通訳のスタッフとして、ダイビングを現在もしています。

 

下の写真は今朝のpanagsama beachの写真です。よく晴れて対岸のネグロス島には、入道雲が出ています

 

今朝は、最近考えていたペスカドール島での50mのDeep divingを何年振りかで実施しました。

 

今朝のゲストはポーランドから来たと言う男性の方お1人だけでした。

 

海況状況は良いように見えましたが、実際のダイビングでは、透明度はあまり良くありませんでした。

 

それでも久々のDeep diiving をジックリと楽しんで来ました。

私にとって、Deep Divingの海中の世界は通常のダイビングでは、味わえない特別のものです。

 

ダイビングの後で、改めて人生の不思議さを感じました。

 

泳ぎの出来ない既に中年になっていた私が、グアム島でのスノーケリングで初めて見たサンゴ礁の美しさに魅せられて、日本に帰って直ぐにダイビングのライセンスを取る為に、スイミングスクールに通い(息継ぎができず泳ぐ事は出来ませんでした。今でも泳げません) 、我が家の近くに出来たダイビングショップで泳げなくともOKとの事(当時はOKでしたが、今は泳げないと駄目です)でライセンスを取ることが出来ました。

 

既にブログにて書いているので省略しますが、不思議な縁で今のドイツ人がオーナーのダイビングショップで18年前にボランティアスタッフとなり、現在まで続いている訳です。

 

私が55歳で早期退職して、モアルボアルの町に移住してから、現在まで、ダイビングショップでのダイビングスタッフとしてのダイビングは私にとって、世界中のダイバーとの交流の場であり、また、ダイビングそのものが私の最高の趣味であり、同時に、今では健康法にもなっているように思われます。

 

海中の世界はまた別の世界です。

 

現在まで40年以上、8000本以上ダイビングをしている私ですが、今でも毎回ダイビングをするたびに、海中の世界の素晴らしさを感じています。

 

現在は半年近くやっていませんが、ダイビングと並んで私の移住生活に大きな楽しみを与えてくれたのがテニスです。

 

テニスとの出会いも将に不思議な出会いでした。(これもブログに書きました)

 

30代に当時の会社の頑固な上司(私は彼以上に頑固でした)に接待に必要だからと半ば強引にテニスを始めさせられ、その後は自分が好きになり積極的に社内のテニス合宿などにも参加しました。(彼にはその事を大変感謝しており、退職後、直接彼にも伝えました)

 

モアルボアルの町に移住してから、直ぐに当時町の唯一のテニスクラブに入部しました。

 

外国人のメンバーは私だけで、後日知りましたがテニスクラブのメンバーは市長をはじめ、役所の要人、弁護士、医者、会社経営者等で、市長には、救急車の手配で世話になるなど、メンバーと知り合った事は移住生活でも役立ちました。

 

テニスコートはクレーコートで私の様な年寄りには、足腰への負担が少なく助かりました。

 

私はビギナーで、メンバーは殆どが上級者が多かったのですが、皆嫌がらずに私をパートナーとして、ダブルスのゲームを楽しませてくれました。

 

当時は入会金が1000ペソで、年会費が750ペソ、1プレー毎にボールボーイ達に15から25ペソ支払いでした。(今は年会費1500ペソ、ボールボーイ達へは私は1ゲーム50ペソ渡しています)

 

モアルボアルの町に移住してから、テニスとダイビングが私にとって、生涯かけがえのないものになったのです。

 

テニス、ダイビング2つの出会いとも、今考えると本当に人生とは不思議なものだなと思わされます。

 

下の写真は今朝撮った我が家の台所で、家内の母親と現在は居候している甥の写真です。甥の朝食です。ライスはマイス(トーモロコシのお米)おかずは小魚です

 

今朝、甥が調理用の水を買いに行くところです。

1ガロン1ペソだと思います。

 

下の写真は9月14日セブ市に行った時の、早朝のモアルボアルの町の様子です

私たちが乗ったV-Hireです。 出発は6時半です

 

車内の様子です。1列4人で、16人助手席側が2人で定員は18人です。

助手席を除き、4人席はぎゅうぎゅう詰めになります。セブまで1人180ペソです。

 

地元のリブランドバスです。これはエアーコンバスです。

 

パン屋は早朝からやっています

 

市場のトライシクルも早朝は少ないです

 

道路もまだ交通量は少ないです

 

今日はここまでにします。

 

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