家内の友人のドイツ人のご主人が昨日ドイツに帰られると10日ほど前に家内から聞き、帰る前にあいさつをしたい旨家内に伝え、1昨日の午後2時に面会をセットしてもらいました。
というのも、家内と娘の初めての日本旅行に際して、家内と娘の旅行用のスーツケースをお借りした事もあり、今回、単身でドイツに一時帰国するとの事にて、帰国前にもう1度お話をしたいと思ったからです。
彼と初めて会ったのは、12年位前、家内より、友人の結婚披露宴として、招待されたレストランでの(親族関係のみの内輪の披露宴)事だったと思います。
英語ができない私は、自己紹介とおめでとうと言っただけで、後はただ家内達が話をしているのを見ているだけでした(会話が殆ど判らない為)
私が彼を見てその時感じたのはずいぶん若いなということくらいでした。
彼とはこの時挨拶した以外は、その後彼がフィリピンに度々来て、町で出会っても会釈を交わすくらいでお互い、話す事もなく、家内からは、時々彼等の話を聞かされても、私自身は彼等に何の関心も持っておりませんでした。
数年後には家内の友人がドイツに行き、彼との生活が始まったと聞きました。
またこの頃には彼女が家内の親友である事を聞かされて、彼女の家族の事も知るようになりました。
ドイツで数年間、生活して、フィリピンに久しぶりに単身で先に帰っていた彼女から突然に夜中に家内に電話があり、電話の様子から何かただならぬ気配を感じました。
その時と翌日の家内の話で、1週間後にフィリピンに来る予定になっていた彼氏が、突然のハートアタックで意識不明になり、病院に搬送されたが、意識が戻っておらず、極めて危険な状況とのドイツの彼の弟からの緊急の連絡が入ったとの事でした。
連絡を受けた彼女は、どうしていいか判らず、友人である家内に電話をかけたようです。 彼女は電話で只々泣きじゃくっていたとの事でした。
その後は家内は頻繫に友人の所へ行っていたようですが、私はそれほどの関心もなく、その後3週間以上経っても意識が戻ってないとの家内からの話を聞き、もう無理ではないか仮に助かって意識が戻ったとしても、重篤な障害が残ると思う。と家内には話していました。
それが1か月もの長い意識不明の状態から、意識を回復して、気管切開等、種々の処置により、担当の医師達も奇跡的だと言っていたような回復を見せたようでした。
2020年のパンデミック真っ最中の時でもあり、当時情報を聞いた私はそんなこともあるのかと驚いたと同時に、もうフィリピンに来る事は出来ないだろうとも思っていました。
その後、会話も出来るようになり、両手両足の指先の壊死による切断と、再建術、下半身麻痺の為の歩行訓練などのリハビリテーションを受けているとの事でした。
彼女も彼の世話をする為にドイツにわたり、今年の5月の下旬に、ほぼ4年ぶりに、彼氏と一緒にフィリピンに戻って来ていました。
ちょうど我が家では日本行きのトランクの借用先を探していたところで、家内がトランクの借用を彼女に頼んでいたようです。
彼等と5年ぶり位に会ったのは、借用したトランクを返しに家内と一緒に日本旅行から帰ってきた6月10日の数日後、彼等の家に行った時です。
5年ぶりに見た彼は部屋から松葉杖をついて5歩ほど歩いて、車椅子に移乗して、私達夫婦を迎えてくれました。
ドイツでの療養中のビデオは何回か家内から見せられていましたが、私の想像していた以上に5年前と変わらぬ風貌と上半身はリハビリテーションの成果か、以前よりも逞しく見えたことに驚きました。
彼と会話を交わしたのは12年ぶりで、実質的には今回が初めてすが、片言の英語でにこやかに、10分ほど話して、トランクのお礼を言い帰りました
冒頭に書いたように、1昨日、彼との再会を望んだのは、彼が病院に3か月間リハビリテーションの為に入院する為に、金曜日に単身でドイツに戻り3か月間のリハビリ終了後にフィリピンに戻る予定と聞いたからです。
今回は、娘がプレゼントしてくれた補聴器を準備して家内と一緒に彼らの家に行きました。
家内はしょっちゅう来ていたようですが、私は初めて彼等の家の中に入りました。
車椅子に座った彼の隣りの席に着いた私は、娘の買ってくれた補聴器の話をきっかけにして、今回の日本旅行の話、フィリピンの料理の話、フィリピン、またモアルボアルのドイツ人の居住者、コミュニティの話、為替レートとフィリピンの話、ドイツと日本の年金の話、日本人とドイツ人の英語力、医療の話等、多岐にわたる話を時には家内達も会話に交えながら、娘を学校に迎えに行く時間まで1時間チョットの間、彼と和やかに、時にはお互いに熱を込めて話をする事が出来ました。
勿論私の英語力で、彼の話している事が100%判ったわけではありませんが、自分自身で驚いた程、今回は、お互いに話を理解できた様に思いました。
別れ際に、3~4か月後の再会を約束して、彼と固い握手を交わしました。
家内には昨日、初めて、彼等の知り合ったキッカケ、彼のドイツの家族、親族の事、彼の年齢、彼等のフィリピンでの生活の事等、またこれまで知らなかった家内と彼女が友人になったキッカケなどについて話を聞くことが出来ました。
彼はまだ40代である事、別れたドイツ人の奥さんとの間に25歳になり既に独立している娘さんがいる事。
既に両親は亡くなっており、弟が1人いる事。
既にドイツで借りていたアパートは解約し、今後暫くはフィリピンで生活する予定である事などが判りました。
また家内からは、彼が私が帰国前に行った事を感謝していたと聞かされました。
今回、彼とスムーズに話ができたのは、私自身が彼と自然のまま話したいという、気持ちで接したからのような気がします。
3か月後の再会を楽しみにしたいと思っています
下の写真は我が家のテラスからの写真で、私は朝夕この椅子に揺られながらひと時を過ごしています
下の写真は今朝、前述の家内の友人の女性や、ツーリングクラブなどのメンバー達と海辺での食事の準備をしている家内と姪です。
料理はフィリピン料理の定番の豚のリブの海辺でのグリルとパンシットカントンです。 今日は学校が休みで遅く起きてきた娘も家内と一緒に行くことになりました。 また娘は午後はパークでクラスメート達と会うとの事です。
下の写真は今朝のパークの様子です。
土曜日ですが朝は閑散としていました。夕方からは大勢の人で賑わうと思います。
下の写真は今朝のダイビングショップの写真です。
追記
今朝、家内に彼はフィリピンに友達がいるのか聞いたところ(12年前に彼に会った時から、何となく彼はフィリピンに友達が少ないように思っていました)
沢山のドイツ人が住んで、ドイツ人のコミュニティや交流が盛んなこのモアルボアルの町で、ドイツ人の友達は居ない、唯一の知り合いは私達の結婚式の仲人役を務めてくれた同じイギリス人とフィリピン人の夫婦だと聞かされました。(私たち同様、彼らも一時期、イギリス人夫婦が住むリゾート地内で、借家をしていたと聞かされました)
私自身が長い間、在住の日本人の方との接触を避けてきたので、彼が同じようなのに気付いたのかも知れません。
また家計をフィリピン人の伴侶に任せる事になったようだと聞かされて納得しました。(私も全て知っている訳ではありませんが、フィリピンでは金銭の管理は外国人のご主人がコントロールしている事が多いように思われます、スーパーマーケットなどでも支払いはご主人がしているのをよく見かけます)
昨日、彼は車椅子で単身でドイツへ出発しました、ドイツの空港では弟さんが出迎えてくれるとの事です。
今日はここまでにします。
追記
フィリッピンの日常生活
正直に言って、理解しがたい事も多いと思われるフィリピンの女性ですが、改めてフィリピンの女性の強さ、どんな事態になってもそれを乗り越える柔軟さ、おおらかさ、明るさに気付かされたような気がしています。
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