昨日にて家内と娘の初めての日本旅行滞在記も終了し、今朝、山積みになっている解決しなければならない私事の問題点などをノートに書き出していたところ、忘れること等有り得ない娘のボーイフレンドの名前が、突然、思い出せなくなりました。

 

自分自身、あまりにも突然にショックな事が起こった為に、うろたえた自分を落ち着かせる為に、コップ一杯のジュースを飲み、居間の椅子やテラスの椅子に座って何とか思い出そうと1時間近く考え尽くしました。

 

幸い1時間後に思い出しましたが、このことは私に否応なしに78歳になる自身の老いをハッキリと自覚させました。

 

私は既にブログにも書いたように、日本の妻が生存しているときから、日本の子供達と孫達の名前を忘れてしまうかどうかを、自身の重要な老いの1つの目安にしてきていました。

当事、毎月一回日本の妻に電話をかけていた時も、電話をかける前に名前を忘れていないか自己チェックしていました。

 

度々ブログにも書いているように75歳過ぎてから、特にここ1~2年の急激な体力の低下は自覚しており、だからこそ、生きている間にとの思いから、家内と娘の長い間の念願だった日本旅行を万難を排して、今回実施した訳です。

 

家内には既に70歳を過ぎてからは、毎年のように折に触れて、私はいつ亡くなってもおかしくない事を伝えており、その度に以前は何で何時もそんな事を言うのと泣いていましたが、この1~2年は私の真剣な言葉に耳を傾けるようになっていました。

 

家内はこのショックな出来事があった時、買い物に出かけており、今、ブログを書きながら今晩にでもキチンと家内に話すつもりです。

 

日本旅行を終えた後も疲労の回復が今だに思う様になっていないと感られるように、体力の低下も明らかに感じてきています。

 

相変わらず、娘をバイクで学校に連れて行ったり、家事手伝いをこなしたり、ダイビングショップに顔を出しに行っている私を見て、どうしても家内は実感が湧かないようですが、今回はしっかりと現実を認識して欲しいと思っています。

 

但し、今までの長い経験からは、家内にはフィリピンの女性の南国特有の、明日のことは、明日考えればいい、なるようになるさの文化とも言える考え方が根付いている為に、私自身は本当に家内に理解してもらうのは無理と殆ど諦めているのも事実です。

 

その時になればなんとかするのがフィリピン流であり、文化でもあるように思いますし、私もある意味では、家内と結婚した時からフィリピン流のその考えで来たように思います。

 

数日前には、同じく小さなショックを受けた出来事がありました。

 

それは日本で修理したばかりの私の補聴器を我家の室内犬のakiに食いちぎられてしまった事です。

下の写真がAkiです。 Akiは家族が溺愛していますが、私にとっては様々な問題を引き起こしてくれる厄介な存在です。

 

今思えばこれも自分では充分に注意していたつもりが、健忘症により、うっかりミスして床に落としてしまった事のようです。

 

この時も一時的にショックを受けました。 ほとんど聞こえなくなった左耳が補聴器のお陰で聞こえるようになり、この時も学校から帰ってきて、学校のことを色々話し始めた娘の話を聞くために補聴器を付けて話を聞き、話し終わった後、補聴器を外して、自分ではいつもの通り、キャビネットの中にしまったつもりが、その時に床に落としてしまったようです。

 

娘とし話した後、シャワーを浴びて戻って来て、引きちぎられた補聴器を見付けた時は正に信じられない思いでした。

 

これで、またこれからは難聴者としての生活を、新たに補聴器を修理するまで続けなければならなくなりました。

 

下の写真は6月16日に水道が10数年ぶりに開通した当日の写真です。

真っ先に家内達が駆け付けて水を運びました。

 

下の写真はたった今撮ってきた写真です。 御覧のように既に3軒の家が接続をしています

 

下の写真は仮設の水道を使った洗濯の様子です。

この場所で母親や叔父、甥、隣りの従兄弟夫婦などが朝のシャワーを浴びています。

 

下の写真は土曜日曜にヘルパーとして、我が家に来ている大学4年の姪と家内、母親の朝食の様子です。

 

フィリピン流の手掴みで、ご飯はお米でなく、とーもろこしのお米Miceです。

 

今日はここまでにします。

 

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