既にブログに書いたように私が初めてフィリピンと言う国を知ったのは私が30代の45年近く前の事です。

 

それまでは一度も海外に行った事がなく、何で高い金を使って海外旅行に行くんだと全く海外旅行などに興味はありませんでした。

 

それが会社の同期の旅行で、今迄の国内旅行から初めての海外旅行先がフィリッピンのマニラだった訳です。

 

熱帯地方の発展途上国の凄まじいエネルギーと異文化に触れて、ショックを受けて、この後は世界の国々について興味を抱くようになり、東南アジア諸国と、ラトビア、リトアニア、アルメニア等の旧ソビエト連邦の国々、その中でも特に小さな島々を持つタイと、フィリピンに、興味を惹かれるようになりました。

 

当時フィリピンはマルコス政権下で、フィリピン全土が戒厳令下にあり、逆に今よりも治安は良かったのかも知れません。

 

そうは言ってもパトカーの警察官が、1人で道路を歩いている私に、自分の拳銃を買わないかと声をかけてくるような国情でした。

 

B型特有の好奇心の塊と、無鉄砲な恐れを知らない猪突猛進のきらいがあった私は、その後フィリッピンの底辺で暮らす人びと、またGO,GOバー,KTVバー、置屋、マッサージ店、路上などで、春を売る、多くの女性達の生態をつぶさに見てきました。

 

今もそうですが当時のスクエッターは、地方では職もなく、飢えに苦しむ人々が、生き残る為にセブ市やマニラ等の大都市の湿地帯に違法に住み着き、巨大な集落を形成していました。

 

粗末なニッパ、アマカン、竹の床で作った4畳半位の住まいに、時には8人以上の家族が暮らしていました。

 

当時はまだ床の下を汚物や大量のプラスチック類、ごみ類が流れており、凄まじい臭気を放っていました。(現在はかなり良くなっているようです)

とても人間が住めるような所には思えませんでした。

 

また当時は地元のタクシーも夜には、危険だと、幾ら特別料金を払っても行かないマニラのゴミの山で有名なtondo地区にも行った事もあります。

 

そういう場所で、人の目を真っ直ぐ見て目をそらさず、笑顔を絶やさない多くの子供や人々に出会いました。

 

また旅をして出会った多くの人々のホスピタリティ、障害者や高齢者や妊婦等の弱者に対する優しさ、人の目を気にせずに、貧乏でも笑顔を絶やさずに、おおらかに生きている様子に驚かされました。

 

一方では麻薬戦争で一躍有名になった、今でも続いている、国中の違法ドラッグの蔓延(小学生の自分の娘達にドラッグの売人をさせていた知り合いの男性に当時、激しい怒りを覚えた事を思い出します。ブログにも書きました)

 

上は大統領、最高裁判所の長官を初め、警察官、入管職員、役所の職員等のあらゆる分野でドラッグ同様に、当時、国中に蔓延していた、たかり、袖の下、汚職体質(今でも、まだあり)

 

お金が万能の文化の弊害としての、ツーリストや外国人に対する、たかりやタクシーや物売り等の法外な値段。

 

以前の話ですが、日本の旅行会社のセブ市の支店長から聞いた5万ペソで殺人を引き受ける人間がいるとの話、また交通事故で重傷を負わせたら、治療費が高くつくので、改めてひき殺すと言う話を聞いた時には、その時の私は、なるほどと納得したものです(これもブログに書きました)

 

今でも国民の60%近くが貧困層のフィリピン。

今でも、飢えを感じた事がある人達が30%いるフィリピン

 

田舎町(今は違います)のここモアルボアルの町でさえ、毎年のように何件もの拳銃による殺人事件が発生する、ある意味では日常的に危険と隣り合わせのフィリピン。

 

真夜中の電車に若い女性が1人で乗っても、それどころか居眠りしても安全な国、日本。

 

少子化の進行、また、非婚化の進行による、孤立死、孤独死、老老介護、等の家族関係の絆、親族関係、近隣関係などの希薄化が進んでいる様に見える日本。

 

いずれは日本のようになるにしても、現在、また、当分の間はピラミッド型の人口構成比にて、若者や子供達が、町中にあふれているようなフィリピン。

 

その独特な風習文化もあり、家族の絆は日本の方には信じられないほど強いものがあります。

親族の絆も同様です。

 

また、近隣住民との交流も活発です。

 

フィリピンでは、孤立死、孤独死、老老介護などは考えられません。

 

光と影は常に一対になっているのかも知れませんね!

 

沢山の問題があるフィリピンですが、この常夏の気候とすぐ身近にある、海、山等の自然の豊かさ、そして何よりもフィリッピンの多くの人々のホスピタリティ溢れる、優しさ、おおらかさ、社会的な弱者に対する偏見のなさ。

 

人の目を気にせずに、自分らしく生きられるフィリピンは私にはあっていたように思われます。

 

下の写真は全て今迄にブログに掲載した写真です。

どこに行っても笑顔、笑顔、笑顔がありました。

 

 

 

家内の母親の末妹が亡くなった時に集まった我が家の親族一同です。

 

末妹が亡くなる直前の写真です。家内と家内の母親と末妹です。

 

 

ミンダナオ島のダバオ市から駆け付けた長兄らとの写真です。

 

今年の2月2日に行われた家内の祖父の22回目の命日に集まった親族達です。

毎年命日はこの様に近くの親族たちが集まります。

 

最後の写真は一昨日撮った写真で、水を買いに行く所です。

彼女が持っている1つの容器の水の料金は1ペソです。

 

 彼女は以前はこの様な容器を100個位、身体じゅうにぶら下げて歩いていて、私もビックリしました。 彼女の子供5人の内の1人のNinanに家内がなっています。

 

1ガロン(20ℓ)は3ペソです。 歩いて30分位の所の水圧の高い家の水道の水を調理用の水として使用します。  フィリピンでは水道の水は飲めません。

 

我が家でも、我が家の親族の家でも調理用に、毎日のように歩いてこの水を買いに行

っています。

 

今日はここまでにします。

 

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