南国らしい良い天気が続いています。
欧米諸国からのダイバーは、3月に入っても途切れなく、私がボランティアをしているダイビングショップでも連日かなりのゲストが来ています。
その中にはパンデミック以前に来ていた、常連のダイバーもおられます
下の写真は昨日のダイビングショップの様子です。
初めてモアルボアルの町に来てから40年、住み始めて24年が過ぎました。
私は日本での仕事が製薬会社の営業職(MR)であったにもかかわらず、人との関わりが苦手で、学生時代、社会人を通して、友人と呼べるような人を1人もつくる事が出来ませんでした。
40年前のモアルボアルの町はまさにフィリピンのど田舎で、当時は日本の方は誰も住んでいませんでした。
16年前に現在のフィリッピン人の家内と住み始めてからは、小学生低学年の英語力しかない私は現在まで、家族とのコミュニケーションをとる為に、毎日毎日悪戦苦闘の日々を送っています。
こんなコミュニケーションをとる事が苦手な私が日本でもフィリピンでも心がけていた事は職業に関係なく、どんな人に対しても誠実に接する事。
出来るだけ自分が話すだけでなく、相手の話をよく聞くようにする事。
そして年下の若い世代の人からアドバイスをもらった時は、真摯に受け止める事。
確かに英語力のない私では、例え家族であっても、理解しえない部分があるのは仕方のないことだと思います。
ただ、コミュニケーションというのは単に会話力だけではないように今の私は思っています。
極端に言えば言葉が通じなくても、接したその人の誠実さ、思い、人柄は相手に通じるように思います。
これは18年間ダイビングショップのボランティアスタッフとして、世界中のダイバーと接して来て、また多くの現地のフィリピン人の人々、在住している欧米諸国の人々と接して来て、またタイやフィリピンの小さな島々を旅してきて多くの人々と出会った私が実感している事です。
フィリッピン人の家内と娘や親族とも、毎日毎日の積み重ねで、言葉が通じない点があっても、お互いに多くの理解が深まっているように思います。
1年前にブログを書き始めてからは積極的に日本のダイバーの方と話をするようになり、ブログにも書きましたように、多くの方から貴重な人生経験を伺わせていただきました。
改めてコミュニケーションの大切さを感じさせられました。
一方で、これも既にブログで書きましたが日本の娘とは、現在、断絶状態です。
また2人の日本の息子とも思うようなコミュニケーションが取れていないように感じています。
遠く離れた会えない状況でのコミュニケーションの取り方の難しさと、そういう状況下でもコミュニケーションをとる努力の必要性を、感じています。
ともあれ、フィリピンに移住してからの24年間、私は一度も後悔した事はありません。
亡くなった日本の妻が生存中も、毎年日本に一時帰国したたびに、99.9%幸せだと日本の妻や子供達に言い続けてきました。
今でもその考えに変わりはありません。
下の写真はフィリピン人の当時は17歳の家内が高校を卒業卒業して働き始めたモアルボアルの町の市場の食料品店です。 この店はフィリピン人夫婦が経営者で24年前は市場で最も大きな店で、私は毎日のようにこの店で、日用品や食料品を買っていました。
勤め始めて半年後の家内とここで出会い、その後一緒に暮らし始めた訳です。(家内との出会い等の顚末は既にブロブに書いてあります)
現在、市場は改修工事中ですが、今の所この店は昔のままです。
一昨日久しぶりにこの店を訪れました。
当時、家内と一緒に働いていた2人の女性のスタッフもまだいて,少し話をしました。
当時の家内の給料は2200ペソでした。
写真のように、フィリピン流の所狭しとギッシリと商品が山積みにされた、狭い店内で彼女達は働いています。
今日はここまでにします
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