私の記憶違いで無ければ、日本で終活と言う言葉が広くマスコミに取り上げられ出したのは15年くらい前からではないかと思います。

 

私にとつての終活は、早期退職、海外移住の考えを固めた40代後半には、既にスタートしていました。

 

既にブログにて何回か書きましたように40代後半に、種々の理由から、私は、自分の人生を65歳までと規定して、53歳~55歳で早期退職して、いろいろな国を旅して、60歳で永住の国、場所を確定して、残りの人生をそこで過ごす。という考えを固めて、何年かをかけて日本の妻を始めとして、家族を説得して、了解を得ました。

 

私が無謀とも思えるような、この計画が実現した理由の一つ、私は早く結婚した為、早期退職時点で、3人の子供達が就職し、独立できる目安が立っていた事が挙げられます。

 

当時の大きな問題の1つが子供達も大きくなって手狭になった我が家を改築するか、新築するかの問題でした。

 

新築と改築では費用が10倍近く異なり、また私自身が住めるのは2年間にも満たないと判っていましたが、妻がずっと住むことを考えて新築を決断しました。

(当時、妻の家系は、長命であり、私の家系は短命であり、妻は結婚して以来以来、盲腸の手術をした以外、病気らしい病気をしたことがなく、2人の間では私が先に死亡するという事は、既定の事実という考えで、少しも疑った事はありませんでした)

 

この我が家の新築には、自ら設計、施行に深く関わり、将に心血を注いで作り上げたと思っています。

 

この我が家の新築が、私の終活のスタートでした。

 

そして移住前にしたことが、妻の友人2人を証人として、公証人役場にて私の遺言書を作成しました。(新築した家を始めとして、私名義の全ての有価証券、銀行口座の現金など全てを妻に残す事)

 

実際に移住してからは、毎年日本に一時帰国(約2週間)するたびに、妻が生活しやすいように、私の私物を整理しました。

 

移住の前には、妻と話し合いながら、私が死亡した後の妻の80迄の生活費の収入の予定の明細を作成して、妻に渡しておきました。

 

移住後の生活費は当時のフィリピンの生活費が日本の4分の1以下くらいであり、それに基づいて、家内と私の生活費を決めました(既に何回もブログに書いているように、現在は日本以上に生活費はかかります)

 

こうして、実際に私がモアルボアルの町に移住してから5年目の私が60歳の頃には、日本の家の私の私物の整理も進み、長男も次男も結婚してそれぞれに新居を構えて、

家内は娘と2人だけの生活になりました。

 

家内は私が死亡した後の老後は日本の家での娘との生活を送る事を望んでおり、娘は結婚せず、独身のままの気配も感じられた為、妻の老後の面倒を娘が見るとの前提で、私が生きている内に、私名義の土地と建物の名義を娘名義にする事を決断しました。  但し妻名義の建物の2分の1の名義は、娘が結婚して、万一妻と不仲になる等のトラブルになった時の為にそのままにしておく事を妻に話して、妻も同意しました。

 

そして、独立して既にそれぞれ新居を持っている長男と次男に、私たち夫婦の唯一の財産とも言える家と土地を、妻がなくなった場合は娘に譲る事、また今回、私が生きている内に私名義分の土地建物を娘名義にする事の了承を得る為、2人を呼び出して、家族5人がそろった席で、私が説明をして、私が用意した私の直筆の誓約書に、全員の署名捺印を取り付けました。

 

本来ならば、それなりの価値のある財産の将来の権利を一方的に放棄させる事でしたが、長男、次男とも一切異論なく気持ちよくサインしてくれました。

私も判っていましたが、流石に私達の息子だと思いました。

 

これで私の気がかりは無くなり、私の終活はほぼ片付いたと思いました。

 

その後紆余曲折があり、既に以前にブログに書いた通り2008年、62歳でフィリピン人の現在の家内と住み始めて、翌年には、娘が生まれるなど(日本の妻には全て話してあります)がありました。

 

その後も毎年、日本に一時帰国(1週間から10日間)するたびに、日本の妻の趣味の卓球を一緒にしたり、温泉に行ったりしていましたが、2018年の1月2日の娘からの突然の電話で、日本の妻が末期癌である事を知らされて、急遽、日本に帰国しました。

 

この間の顚末については既にブログに詳しく書いてあります。

 

65歳迄の人生と規定した私が今77歳であり、90歳以上長生きすると信じて疑わなかった日本の妻が私よりも先に70歳で、なくなりました。

 

私の終活は現在ほぼ99%、既に終わっています。

 

おまけの残りの人生を、私らしく一日一日楽しみたいと思います。

 

日本の亡き妻も笑いながら、私の現在の生き方を応援してくれているような気がしています。

 

下の写真は、パンデミックなどにより4年ぶりに2022年10月に日本に一時帰国した時の写真です。

 

この日11月1日に長男と次男とテニスをした後のレストランで食事をした時の写真です。

 

次男はこの日が初めてのテニスとの事でしたが、とてもうまくて驚きました。

 

次男の長女が学校でテニスクラブに入ったという事で、⋯これならまだ十分に娘のテニス相手になれるよ⋯とアドバイスしました。

 

日本の妻が亡くなって4年目、2人と一緒に話をするのも久しぶりでした。

 

2022年11月1日、この日、このレストランで2人に今回長女に全てを話す決断が揺るがないことを伝えました(詳細は以前のブログに記載済み)

 

下の写真は、2022年11月6日、10年ぶりくらいで行った長男の家での長男一家の写真です。

2人の孫が、4年ぶりで大きくなっていて驚きました。

 

 

下の写真は、2022年11月10日に撮った写真で次男一家との写真です。

娘に譲った私の家の近くの大きな総合スーパーで、孫たちと会う時間を急遽次男が、仕事で忙しい中、設定してくれました。 孫と次男と一緒にテニスをしたり、バスケットボールをしたり、本当に楽しい時間を過ごせました。

 

下の写真は、次男が娘とテニスゲームをして娘が勝ってガッツポーズをしているところです  次男にとっては初めての娘とのテニスを大いに楽しんだようです

 

下の写真は、次男家族が全員でバレーボールをしているところです


4年ぶりの日本への一時帰国で、長男、次男ともに仕事が大変な中、忙しいスケジュールを調整してくれて、久しぶりの孫たちとの楽しい時間を作ってくれました。

 

もうこの様に、孫たちに会えることはないと思いますが、とても楽しい時間を過ごす事が出来、2人には感謝しています。

 

今日はここまでにします

 

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