闘病日記続きです。
2010年3月16日
和田クリニック受診の翌日、早速紹介してもらった大阪府立成人病センターを受診。
緊張の中、話を聞く。
やはりここでも、術前にがんをある程度たたいてから手術をしましょうとのこと。
本当は今すぐ治療に入りたいところだけど、とにかく大病院、ベッドが空くまで待つしかない。
一日も早く入れるよう願いながら、入院予約を入れる。
3月18日
手術の前に化学療法を行うため、この日は呼吸器内科を受診。
治療についての説明等受ける。
こんなことになるまで、呼吸器外科と内科があることだって知らなかった。
なんて幸せな無知だったんだろうと思う。
夫の様子は落ち着いているようだったが、忘れられないことがある。
ある晩ベッドに入ってふと、「俺、がんやって・・・」とつぶやく。
がんなんだという実感とか、まさかという思いとか、いろんな気持ちのこもった一言で、たまらなくなる。
さらに、「ごめんな。子供3人欲しいって言ってたのに、しばらく無理やなぁ・・・がんがある以上子供作れへんから」と言う。
私は、そんなこといいから元気になってとしか言えなかった。
がんというおそろしいものが彼の中に棲みついてしまっているということを、このときになってまざまざと感じる。
涙があふれて仕方ない。どうか彼に気付かれませんように。
夫はこのとき泣いていたんだったろうか。
夫の不安はこうして静かに表れていたのだけど、ある日爆発する。
些細なことだったんだと思うけど、彼にとってはそうじゃなかったんだろう。
「どうせ俺はがんやねんから!」などとにかく大荒れだった。
でも具体的なことがあまり思い出せない。
私は私で、夫のことも不安だったが、出産予定日も迫っていて、自分の出産も不安でたまらなかった。
お互い感情的になったまま、私も実家に帰っていたのだったと思う。
数日後、夫から電話があり、彼は泣いていた。
不安でどうしようもないけど、頑張るしかないから、支えて欲しいと・・・。
私は初めて気付いた。私だけがすでにスタートラインに立っていたということ。
病院での治療と並行して、食事療法を進めればきっとよくなる、その思いでどんどん前へ進もうとしていたのは私だけで。彼には何の準備も出来ていなかった。
どんなに近くにいたって、本人の怖さなんて全然理解出来ていなかった。
私なんかに彼を支えることが出来るんだろうか。
でもそれでも一番近くにいたいと思う。
こうしている間もきっと彼のがんは勢いを増していたんだろう。
赤ちゃんはなかなか降りてくる気配がない。
相変わらず私は何も考えず音楽を聴きながら、ひたすら歩いていたけど、この頃はよく歩きながら泣いていた。
Mr.childrenの「花の匂い」に心をかき乱される。