・・・つづき
★桜の森の満開の下
ほぼ、あの頃のままでした
(←勿論、違うところはありますよ
言い出したらきりがない)
当時野田さんの芝居にハマって
観倒してた頃がありました
機関銃のように溢れる台詞や言葉遊びを
意味を理解したうえで
今でも難なく聞き取れる自分がいて
今回、実は嬉しかったりも(笑)

もうこれね当時はリスニングの世界(笑)
慣れてくると、それが面白かったり
楽しくなるっていうか
でも今回、そういう部分は変わらずに
物語の部分で大きく化けたと思っています
そこは後ほど書きますね
この作品の歌舞伎化が発表になった時に
私の中では超えなきゃいけない
ハードルが高い


2001年の新国立の堤&深津コンビで
時は止まってると書きました
この芝居で一番難しい台詞は
劇中何度となく使われる
『いやぁ まいったぁ、まいったなぁ』
だと当時から私は思っていて
・・・で今公演での初見で
七之助@夜長姫のこの台詞を聞いた瞬間
この桜の森~はきっと、いける、大丈夫!
となぜか思えたのです 他の何をおいても
どんな台詞より、この台詞でね
毬谷さんのそれとも違う
深津ちゃんのそれとも違う
でもどこか通じるものもある
作品全体として
若干の古さを感じてしまう部分は
仕方ないけれど(ギャグ部分とか)
ってか、あえてそこも古いままだったのは
意図してのことに違いなく
そこはおいといて
今回の再再再演で大きく化けました
と言い切ってみたりする(汗)

初演の戯曲が歌舞伎の要素が(結局は)あった
とは言われてるものの
それはあとから考えれば、
なことであって(とご本人も言ってたはず)
勿論、野田さんの手腕も大きいでしょうが
それをカタチにしたのは歌舞伎役者!
野田版とついてはいるけれど
野田さんの手を離れ
『歌舞伎版・桜の森の満開の下』
と私は言いたいな
無邪気で残酷な夜長姫が
女優さんじゃなく性別を往き来できる
越えられる女形というカタチで
存在したことも大きな強み
だったかもしれません
そして今回、耳男、夜長姫は勿論良いけど
それだけでは失礼ながら
ここまでの作品にはもっていけない
芝のぶさんのエナコ、ヘンナコ
猿弥さんのマナコ
染五郎さんのオオアマがあってこそ
芝のぶさん演じるエナコ、俗っぽくて、
エロチックで、ゲスい部分もあり
とても素敵!これらは言葉としては
良い表現ではありませんが
私としてはとっても誉めています
ある意味カワイくて好きですよ

猿弥さんのマナコは
古田(新太)さん彷彿な部分もあるけれど
その持ち味な愛嬌ですり抜けてく
っていうか(笑)独自の世界観
キャスティング知った時から
絶対ずるい!と思ってました(笑)

そして染五郎さん演じる
オオアマの存在感は凄い!

王に成るべくして存在するオオアマ
これは歌舞伎版桜の森に
とても必要でした
このキャラクターが際立っていることが
桜の森を更に素敵なお芝居に押し上げてる
それはとても大きかったと思います
これが無ければ下手すれば
耳男と夜長姫の物語に終わってしまうはず
国造りのストーリーが
あそこまで明確になったことで
だからこその夜長姫の
『みぃつけた!』も活きたかと
真面目にやってるかと思えば
真顔でゴムぱっちんとか(笑)
お気に入りの(笑)ツーステップとか
両手で壁ドンとかそういうとこ含めて
魅力的なとても気になるオオアマ
歌舞伎でかかるのではと噂のあった
十数年前なら耳男しか出来なかったよね
今でこそ演じられるオオアマ

今の染五郎さんならでは、
のオオアマでした

贔屓だから誉めるのではありません
素直にそう感じたから
書かなきゃ!と思ったの、です
これが映像に残ること
ありがとうございます
再び観れるから、というのはあるけれど
桜の森~は歌舞伎という手段を得て
歌舞伎役者の手で
息を吹き返し、凄かったんだよ、
ってわたしたち生き証人
以外の証拠が残るから(笑)ね
観終わると
毎回、心が抜け殻になっちゃうような
それぞれの役者の力量あってこその
歌舞伎版・桜の森の満開の下
高かったはずのハードルは
軽やかに見事に超えていきました
ほんとに素敵な作品を
ありがとうございました
あとは明日発売(もう今日だね)の
次号演劇界のカラー写真が
どうか オオアマ

と下書きをしていたのですか
残念ながら弥次さんのようです
なぜだーーーーーー
