三千歳!!!
(直はん!)
もうこの世じゃぁ あわれねぇぞ

この言葉が切な過ぎて
何度思いかえしても
胸がきゅうっとします


あえない、から切ないのではなく
(←勿論それも切なくなるけれど)
あわねぇ、という気持ちが
痛いほどに伝わるからとても切ない
たとえこれから直はんが
どんなお仕置き受けようとも
死骸は私が引きとって
千住へ葬り墓を建て
比翼塚の昔にならい
長く浮名を残しますのさ
※今回この台詞はありません
(場面が違いますから)
宝國信士 四十年
俗名直侍事 直治郎
天保三辰年 十一月廿三日
三千歳さんではなけれども
直はん最期の小塚原
冬空のもと手を合わせる
いえ、芝居の中の直はんですけれど
なんだかオーバーラップというか
いや、お二人とも
実在の人物なんですけれどね
けれど リアル、というのとは違うの
染五郎さんの直次郎が、
芝雀さんの三千歳が、
互いにものすごく心の通った、
目の前の 今、を
生きてるかのような錯覚
それくらい私には自然だったのかも
そんな直侍と三千歳の
雪の日の逢瀬と別れ
清元がしっとり流れる中でも
静寂が濃密にも切なさにもなる
多くを語るよりも
ただただ切なくなるばかりで
そんなだからか
直次郎さんが眠るとされる地※で
手を合わせたくなったのかもしれません
※小塚原刑場跡/南千住回向院
前回(平成17)染五郎さん初役では
河内山との通し上演
「天衣粉上野初花」でしたので
雪の中 捕方から直次郎は逃れていけど
三千歳!!!
・・・もうこの世じゃぁあわれねぇぞ
の展開とは若干違っていて
(河内山が出てきますら)
この台詞もなく、でしたので
染五郎@直侍で
やっと、やっと、
耳に、目にすることが叶いました


いやぁそれにしても
なんなんざんしょ(笑)
前半/蕎麦屋での 染五郎@直侍の
何をするにも あの色気
頬かむりのお頭(おつむ)のてっぺんから
手先指先つま先まで
酒を煽る、蕎麦を啜る、
手紙を書く、雪道を歩く、
一連の所作は段取りだらけのはずなのに
全くそうは見せないから凄いやね
流れるような、とはこれまさに
いちいち、かっこいいんだわ

そりゃ女郎も気病みになるってもの
特に好きなのは
(←たくさんあるけど強いて言えば)
手紙を書く段になっての
衝立越しに筆と墨を貸してくれと
頬かむりの手拭い噛んでの身振り手振り
言葉を発しないように
手拭いの端を猿ぐつわ的に噛む、
なんと色っぽいことよなぁ


襟元に刺した楊枝を噛みほぐし
筆の代わりにさらさらと、も
なぜだかドキドキときめいてしまう(笑)
あぁそれと猪口の酒に浮いた埃を
チッ、と思いながら取り除く仕草も好きよ(笑)
もう言い出したらキリがないってば
染五郎さんの演ずる
御家人崩れの小悪党っていうのが
陰を落としていて、いいのですよ
これは今に始まったことではないけれど
いまさらながら、あらためて、
そう感じます
この演目に関しては
直次郎役者が脚を晒す、のは
大前提ではありますけれど(笑)

やっぱり程よい筋肉の
素晴らしき おみ足は
何度拝見しても よろしおすなぁ
(←何故か京言葉)

あっ忘れちゃいけない股火鉢(笑)
決して下品にならずに
さらっとクスッと笑いを誘うのは
お・上・手・です

後半/大口寮では
やさしさと切なさ
そして やりきれなさ・・・

先にも書きましたが
芝雀さんの三千歳と染五郎さんの直侍
とても気持ちが通じあってる
言葉は無くとも互いの気持ちが
見えるようで
三千歳が直次郎の胸にいる時
所在無げに何気に
直はんの脚に手を添えますが
その手に(気持ちも)そっと重ねる直次郎
・・・いやぁもうたまりません
と同時にとっても刹那
三千歳からの煙管のやりとり、
簪での髪梳き、
愛おしい人への思いの数々
花魁である前に
ひとりのかわいい女性です
染五郎@直はんが何度か三千歳を
引き寄せる、抱き寄せる
そのとあるところで切なすぎて
泪がこぼれそうに・・・

(いえ泣きましたけど)
そして冒頭の
三千歳!!! へ繋がるのです
ああ~なんだかまだ
書き忘れてることきっとある
思い出したら知らないうちに
書き加えてるかもしれません
悪しからず~、です
遅ればせながら
歌舞伎座
壽初春大歌舞伎 千穐楽
まことにおめでとうございました
私自身の2016年芝居事始めは
染五郎さんの
歌舞伎座/廓三番叟で幕を明け
二条城の清正での金太郎君の秀頼に
感心したりウルっとしたり
でもやっぱり最後に
ぜ~んぶ持ってったのは
雪暮夜入谷畦道 の直侍
こと直次郎さんでした
染五郎さんの言われる
今年のあんなこと


ほんの一部が明かされ(獅子王)ましたが
暫くすれば そんな

今年も自分なりに楽しめたらいいな、
・・・そんな風に思っています