※文中の染五郎さんトークとは
    歌舞伎カフェ主催のトークショーです


東海道四谷怪談
って言葉、何事もなく使ってません?
これ本当は変?なんですよ
四谷って土地は東海道ではありません
ってのもあったり
南北筆でのお岩さまは旧姓が四谷だから
なんてのもあったり
それらからもわかるように
このお話は四世鶴屋南北が
実在のお岩さまが生きた時代の
約200年後に書きあげた戯曲です
 ※ちなみに実際のお岩さまの苗字は
 田宮で、伊右衛門が婿養子
 家庭も円満でした

ではありますが
上演前にお岩さま役者(スタッフ含め)が
興行成功、無事安全の祈願に
参拝する慣習があり
伊右衛門役者は四谷さまに憑かれる
という理由で参りません
というのは皆様ご存知かと

で、す、が、
十七世勘三郎さんがお岩さまを演じた時
伊右衛門の八世幸四郎(初代白鸚)さんと
仲良く二人でお参りしてる写真が
残ってるそうなので(笑)
伊右衛門役者が参らなくなった理由は
他にあるのな?と思ったりと
   by染五郎さんトーク


ということで、国立十二月歌舞伎公演
興行成功、千穐楽までの無事安全を
某日お願いしに行ってまいりました


妙行寺・巣鴨
言わずと知れた
お岩さまのお墓があるお寺
浅野長矩(浅野内匠頭)の正室
瑤泉院の供養塔もあります
寺務所内には今公演ポスターの
掲示もありました

今回染五郎さん、公演関係者一同が
お参りの際(10/25)奉納された卒塔婆も
妙行寺・巣鴨


陽運寺
陽運寺


於岩稲荷田宮神社・四谷
ここにもポスターが
奉納の石柱には歌舞伎座・明治座・演舞場
寿海・歌右衛門 などの名前も
於岩稲荷田宮神社・四谷


於岩稲荷田宮神社・新川
こちらはあまり話題にのぼりませんが
四谷と同名なのにはこんな訳が・・・
四谷の於岩稲荷は明治12年に大火で焼失
初代市川左團次が私有地を提供し新川に再興
その間に四谷に陽運寺が出来たため
(新川も残しつつ)昭和27年に
於岩稲荷は元の四谷に戻すことに
が経緯のようで同格分社扱いとなるそう
諸説あるようで興味のある方は
潜ってみると色々でてきます

於岩稲荷田宮神社・新川


染五郎さん今回のお岩さまは
どなたにも教わっていないそう
 ←変えてるところもあるので
  (今居る方に)習っても
  そのままは出来ないから
そうはいえ、
過去の映像や資料は参考にはしていますが
 ←昭和30年代の成駒屋のおじさん
初代吉右衛門さんのお弟子さんだった
先代の又五郎さんが芸術座の木の芽会で
お岩さまを演じられた時の
“とにかく子供のことを考えて
生きたお岩さま”だったことを
幸雀さん(元は又五郎さんのお弟子さん)に
聞かせて貰って、その気持ちを
思いを大切に勤めているとのことでした
   by染五郎さんトーク


他にも色々興味深いお話を
聞かせて頂けた貴重な時間でした



余談ですが 今月の
プロフの紋(由良之助、民谷家)ですが
実際の紋(内蔵助、田宮家)とは向きが違います
一般的な衣裳に見られる紋の向きを
参考に作成していますので御了承下さい
たぶん、お芝居では名前を
内蔵助→由良之助
田宮→民谷 と史実と変えているのと同様
わざと本来の紋と変えているのかなと


クリスマスプレゼントキラキラキャンドルクリスマスツリー おまけ クリスマスツリーキャンドルキラキラプレゼントクリスマス

クロスロード #89 市川染五郎
のO.Aで流れた時に
どこかで見た事あるような・・・顔
とずっと引っかかってたのですが
やっぱり勘違いではなく
来てるよココ何度かsweat*

少し角度は違いますが
オブジェの位置でわかって下さいな
阿弖流為稽古場

建物の手前に車停めて
ボンネットに台本開いて
一人で剣捌きのお稽古・・・な風景
は、やはりここでした

四谷さま界隈お散歩
思わぬところで
阿弖流為のお稽古ここでやってたのね
と思いを馳せたのでした うれしい