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●東京新聞web 9/11付より

市川染五郎が 東京・新橋演舞場
「秀山祭九月大歌舞伎」夜の部の「引窓」で
南与兵衛 後に南方十次兵衛を好演している
2月の博多座に続いての再演だが
今回は秀山祭を主宰する叔父の中村吉右衛門に教わり
同じ楽屋で日々細かいアドバイスを受ける
昼の部の「沼津」 夜の部の「俊寛」でも共演し
曾祖父・初代吉右衛門から
代々の家の当たり役を身近に勉強する機会も与えられた
染五郎は「父と叔父の芸を受け継ぐのは僕の使命
早く結果を出したい」と意気込む (藤英樹)
「引窓」は全九段の義太夫物「双蝶々曲輪日記」の八段目
中秋の名月の京都近郊・山崎を舞台に
生類殺生を戒める「放生会」をモチーフにした家族の人情物語
町人から郷代官の武士に出世し
南与兵衛から南方十次兵衛に改名した男が
役目とのはざまで悩みながらも殺人を犯した義理の兄弟を逃がす
十次兵衛は家族思いの和事味と
武士としての荒事味の両方が求められる難役
初代吉右衛門(播磨屋)の当たり役の一つで
その娘婿の松本白鸚(高麗屋)が受け継ぎ
その息子の当代幸四郎(高麗屋)
吉右衛門(播磨屋)兄弟も何度も勤めてきた家の芸
高麗屋の跡取りとはいえ 播磨屋の血も引く染五郎は
2月には父・幸四郎から
今回は叔父・吉右衛門から芸の指導を受けた
「台詞回しや型はもちろん 十次兵衛の心理の変化
町人と武士との変わり目など細かく教えてもらいました
同じ白鸚の祖父から教わったとはいえ
父と叔父で表現の仕方に違いもあります
叔父には初代吉右衛門からの型をまず教えてもらい
『徹底してまねるように』と言われています」
幕が開いて十日 各紙の演劇評では好評だが
自身は「舞台に立つときは開き直っているが
分からなくなるときもある 自信は芽生えてきません
叔父からは『(播磨屋の芸の神髄である)感性や繊細さは
教えて教えられるものではない
自分で研究していくように』とも言われました
難しいですが とにかく早く結果を出さなければいけない」
と表情を引き締める
初代一代で大名跡とした播磨屋の芸の継承に
強い意欲を燃やす吉右衛門
その披露の場である「秀山祭」
演劇評論家・渡辺保さんとの対談の中で
吉右衛門は 「(播磨屋の芸は)
一番は染五郎になんとか受け継いでもらいたいなあ」
と語っている → 『演劇界』十月号
染五郎も「叔父の座組みで(初代)ゆかりの役を勤めるのは
ただ大役をやる以上の責任を感じます
高麗屋も播磨屋も系統は同じ 父がやってきたもの
叔父がやってきたものを受け継ぐのは僕の使命
『勧進帳』『陣屋』のような骨太の役も
『沼津』のような柔らかい役も
誰が何と言おうが高麗屋 播磨屋のお芝居が
全部できる役者になりたい
荷は重いが 一生を懸けるのに
これ以上の目標はありません」ときっぱり
それだけに今回 「沼津」の池添孫八
「俊寛」では丹波少将成経で共演しながら
吉右衛門の十兵衛 俊寛をじっくり観察している
「いずれ自分がやりたいお役
同じ舞台の空気を吸うことは非常に大事です
叔父の『捨て台詞』などはそばで見ていないと分かりませんから
見損なわないようにしたい」
と染五郎 こう力説した
「古典をしっかりと身に付けるという年(37歳)でもありませんが
その最後の時期と思っています 急がないといけない
今後も叔父に教わり 徹底的に叩き込みたい」
公演は26日まで