御名残四月大歌舞伎 続きです
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◆菅原伝授手習鑑
~寺子屋 (てらこや)
松王丸 / 幸四郎
千 代 / 玉三郎
戸 浪 / 勘三郎
涎くり与太郎 / 高麗蔵
菅秀才 / 金太郎
百姓吾作 / 錦 吾
園生の前 / 時 蔵
春藤玄蕃 / 彦三郎
武部源蔵 / 仁左衛門
仁左衛門さんの源蔵を観るまでは
源蔵どちらかとい言うと見た目からは
なんとなく梅玉さんがイメージでして
仁左衛門さんの源蔵はちょっと神経質っぽく
固いイメージを受けるかと思ったのですが
戸浪とのやりとりなど観ていると
決してそうでなく源蔵の人となりがよく見えてくる
忠義心から悩みぬいた末 他人の子(松王の子小太郎)を
討つ決断に至るまでの苦しみとか
親として人間として幼い子供を殺さないといけない悲しみとか
忠義の為には理不尽ながらもそこまで強いられる
武士の哀しい性だとか 食い入るように観てしまいました
なんだか文章にしてしまうと凄く仰々しいですが
観てる時はそんな堅苦しく感じながら観てる訳ではなく
後から考えて敢えて言葉にすると こういう感じ
“ ~せまじきものは宮仕え ”のセリフがあまりにも有名ですが
仁左衛門さんの源蔵は自分でおっしゃらない
義太夫に任せてらっしゃいました 初めて観たかも
表面的にはみえない源蔵の心の声とする為?なのかなと
ご自身も深層の思いを大切に思ってとおっしゃってましたしね
これに限った事ではないけれど仁左衛門さんの
心情を表す芝居(というのか?)は私に合うのでしょうか
だから好きなんだろうけど
その上 今月 染五郎さんがされるお役というのもあり
どうしても源蔵を中心とした観方をしてしまいスミマセン
でも?というのはおかしな言い方ですが
涙の素は松王の首実験
自分の子が討たれた(その場に居る)心情を隠しながらの
“ 菅秀才の首に相違ない よく討った ” に


たぶん幸四郎さんのそのひと言に松王の全ての気持ちが
瞬間によみとれてしまったのかと
そして全てを明かそうと
松王が戻り来てから~小太郎の最期の様子まで
ここでついに涙腺突破

源 “ ~おとなしゅう首差しのべて にっこりと笑ろうて ”
松 “ 笑いましたか ” の泣き笑い
子を思う親の心は仕える者は違えどいつの世であっても同じ
(こういう状況はありえないけど)
松王と源蔵のやりとりは胸がキリキリ痛かった
有名な話のわりにはあまり観てない(かかってない?)寺子屋
これまた其の1の熊谷の感想でも書きましたが
(自分の子と他人の子と言う違いはあれど)
現代ではあり得ない 理不尽であり究極の選択を強いられる
お話は重いですが共感出来るからなのか
歌舞伎としては好きな部類です
観た後 辛くてしんどいですけどね
それにしても男前の源蔵だわ~(笑)
(↑スミマセン全くの私の趣味です)
悩み悩んで宅に戻ってくる最初の花道でのお姿
苦悩する姿が素敵なのはよい男の特権でしょうか
あっこういう感想は余計ですか? (^▽^;
“ 本の清書きしたがよい~ ”
金太郎クン菅秀才 頑張ってました
きちんとしたセリフのあるお芝居らしいお芝居
(という言い方も変ですが)としては初めてですよね
育ちのよい高貴なところのお子というのは
お顔だちもありますがとてもお似合いでした
もちろんあどけなさはありますが
子供にしてスッキリした男前(笑)
ただセリフはちょっぴり尻すぼみ気味に
大きくお口を開けて頑張りましたが
子役独特のセリフの発声(言い回し) 難しいのでしょうね
大人な私たちでも息続かないよ
金太郎クンが園生の前/時蔵さんと舞台に居ることや
戸浪/勘三郎さんと居る事が何故だかうれしかった私なのでした


↑ 取材時 幸四郎さんに何か書いてごらんと言われ
テレビ局スタッフ(朝ズバ)の目の前で
金太郎クンが書いたそうです
“ ありがとう かぶきざ
まつもと きんたろう ”
5歳にして3度 現歌舞伎座に
お父さん お祖父さんと一緒に立てたこと
ロビーで(そしてきっと楽屋でも)遊び回っていた事
いつか思い出すでしょうね
◆三人吉三巴白浪~大川端庚申塚の場
(さんにんきちさともえのしらなみ)
お嬢吉三 / 菊五郎
和尚吉三 / 團十郎
夜鷹おとせ / 梅 枝
お坊吉三 / 吉右衛門
かなり年齢層の高い?吉三ですが(笑)
まあ さよなら公演ってことで
吉右衛門さんにお坊のイメージはなかったのですが
カッコ良かったです 以前にもされているようですね
お坊の襟元の楊枝なかったですね~
ってどこ観てんだ?!
(染ファンのみ言ってることがわかります)
◆藤娘 (ふじむすめ)
藤の精 / 藤十郎
以前拝見した
京鹿子娘道成寺の時も感じましたが
お若い!御年79歳には見えない
カワイイ!・・・以上
・・・其の3に続く