そもそも正法眼蔵を読もうと思ったきっかけは何だったのだろう? 若いころは漫画の本以外ほとんど読書などしない私が本というものを少しは読むようになったきっかけは小林秀雄さんの本との出合いがあったからだろう。

 十代後半から二十代にかけて、精神的にきつかった時期があり、そんな時、本棚にあった小林さんの本(高校生の頃、大学の入試によく取り上げられる評論家ということで、「無常ということ」だったろうか、買って置いてあったものだ。少しは読んだのだろうが、まったく印象に残っていなかった本。)を多分、何気なく手に取って、開いたんだと思うが、読んでひどく感動したことがあった。それ以降、小林さんの本を熱心に読むようになった。

  なぜ惹かれたか。端的に言えば、そこに一人の人間がいるという存在感を得たからだ。また、書くという行為はこの作者にとって、虚無に飲み込まれまいと自己を救済する営為なんだと感じたからだ。

 半年くらいだったろうか、デカルトではないが、事物の存在が疑わしく思えてしまってその疑念を払いのけることができなかった。今思えば、病院案件なのだろうが、当時はそんな判断もできなかった。薬の処方などに依らなかったのは、まあそれはそれで良かったのだろう。(続く)