硫黄泉の湯煙 これも野地温泉にて 【追記】報道によると同じ福島の温泉で三名の地元関係者の方々が「硫化水素中毒」でお亡くなりになりました。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

野村進氏著「日本領サイパンの一万日」の冒頭にある「プロローグ」において、著者はサイパンで起きた連続殺人事件は、犯人が分かっているにも拘わらず、「いくつもの謎があった」事件だと表現している。

 

犯人は当時19歳だった少年A。しかし、「Aの自供とAに殺人を命じたとされる人物の証言とがことごとく食い違っている。Aが二人を殺害した動機も判然としない。そもそも戦後直後のサイパン島に、なぜ日本人がいて、殺し合わねばならなかったのかが分からない」。

 

 

下手人Aは逮捕されたのだが、Aが人殺しの命令を受けたと主張する殺人教唆の容疑者が、俺は知らないと頑なだった。著者はこの両者に直接会って話を聞いているのだが結局最後までどちらの言い分が、より真実に近いのか確たる結論は出なかった。

 

この殺人命令を下した者が私の興味を引いたのは、彼が憲兵だったことだ。東條英機は関東軍参謀長になる前に、関東憲兵隊の司令官を務めた。よく似た組織の特高(特別高等警察)は行政府にあり、民間人が捜査の対象となる。

 

 

これに対し、憲兵は軍隊組織内部の警察で、ミリタリー・ポリス(軍事警察)の一種だが、軍事国家日本においては民間人をも対象とし、主に治安維持法関連の取締にあたった。そして、わが伯父も憲兵の制度にかかわりがある。軍歴証明書を参照する。

 

第一回の出生地、中国大陸で伯父は病気で入院しており、退院後に大隊司令部付になっている。病中病後の本部付というのは、いまの民間企業でもよくあるが、現場復帰までの助走期間だったのかもしれない。そのあとで補助憲兵になった。

 

 

補助憲兵というのは正式な職名ではないと我がAIは言う。実態上、憲兵という兵種には含まれず、その他の兵科から選ばれて憲兵の助手になる者がいたらしい。例えば国会図書館の資料の中に、「明治三十八年勅令第二百八号(乗馬兵科ノ者ヲシテ憲兵ノ勤務ヲ補助セシムルノ件)」というものがある。野村書より引用する。

 

Aによれば、「負け組」に対する暗殺計画を立て、それを彼に命じたのは佐渡屋修(仮名)という陸軍の若い憲兵伍長であった。佐渡屋は、民間人を偽装して収容所内に潜入し、「勝ち組」を事実上、指揮するようになっていた。

 

 

  

 

 

この点を著者が佐渡屋に問いただしても、全て嘘だと全面否定するばかり。「あとがき」によれば出版のとき、既に佐渡屋は鬼籍に入っていた。他の「勝ち組」のメンバーも断固、証言を拒み迷宮入りになった。他方でAについては以下引用のとおり。

 

事件後、Aは収容所を脱走し、サイパンの山中でなおもゲリラ活動を続ける日本の敗残兵の一団に加わっていた。十二月一日、最後の日本兵ゲリラ四十七人が集団で投降した際、彼らに紛れて軍人・軍属の収容所に入ったのだが、米軍側に篠田殺害の実行者であることを見破られたのである。

 

 

米軍内では大騒ぎになったとある。同様のことは今村均将軍が戦後、自決し損ねて自殺未遂事件になったとき、監視役のオランダの将校が激怒した。捕虜虐待の嫌疑をかけられるからだ。それにサイパンの米軍は、このとき「勝ち組」の存在を知り、大きな衝撃を受けた由。

 

上記青字引用にある12月に投降した47人とは、赤穂浪士の討ち入りみたいなので記憶にあるが、大場榮大尉一同のタッポーチョ山からの下山のことだ。あの中にAがいたのか。Aは死刑判決を受けたが、後に終身刑に減刑され、さらに釈放されている。

 

 

以下は本ブログに既出の記事から、適宜抜粋する。ドン・ジョーンズ著「タッポーチョ 太平洋の奇跡」は、少なからずの登場人物が仮名になっている。翻訳によると大場部隊の一人に陸軍の憲兵伍長、土屋学という人物がいた。

 

中日新聞社「烈日サイパン島」の証言者の一人に、伯父と同じ師団に所属していた加賀学憲兵伍長が何度か登場する。この両者は名と階級が同じで、役回りも似ていることから同一人物ではないかと書いた覚えがある。証拠の文献はない。戦後の加賀学氏には幾つかの著作があり、ネットでも古書が売られている。高価で買えない。

 

 

そして今回は同時期のサイパンに、三人目の陸軍憲兵伍長、佐渡屋修(仮名)が出て来た。前掲ドン・ジョーンズ書によると、土屋も民間の収容所に出入りしていた。著者の野村氏は巻末の「主な参考文献・資料」に、「烈日サイパン島」、加賀学「玉砕の島」、D・ジョーンズ「長編記録小説タッポーチョ」を挙げている。

 

そして同じく巻末の「証言者及び取材協力者」のリストには、加賀学の名があり、それとは別に「元南洋憲兵隊T」というのが最後にある。仮名は得てして本名の面影を残す。「土屋」と「T」、「学」と「修」。「加賀」と「佐渡」は北陸の国。

 

 

(つづく)

 

 

 

この翌々日に雪崩が起きた。 (2025年2月8日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

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