このところ家人が入院中で久々の一人暮らし。マイペースでいられるものの、家事雑用が多いのには参ります。しかも台風一族が去ってこのかた、ここ東京方面では残暑が厳しくなってきました。夏バテが秋口がこわい。皆さまもどうぞご自愛願います。

 

合歓の花

 

 

あくまで個人的な所感に過ぎないが、サイパンの実質的な放棄を大本営陸海軍部が決定した時点以降、太平洋の戦争は撤退戦に移行する。撤退戦という言葉は、何らかの事情により今すぐ降参できず、やむなく戦い続ける負け戦という意味で使っている。

 

具体的に陸軍の戦史叢書(6)でその経過をみよう。先回、サイパンに兵員・物資を輸送するという「イ」号作戦を題材にした。昭和十九年(1944年)6月19日、「イ」作戦の戦闘序列が発令された。まだマリアナ沖海戦の最終結果報告が届いていない。

 

 

同じ日に、陸海両部は「イ」号作戦に続く第二弾として新たな「計画の大要を取り決め、上奏の運びとなった」。この二つ目の計画は「ワ」号作戦と呼称し、「イ」号で現地が要城を確保する間に、増派して奪回するという強硬策。以下転載する。

 

サイパン奪回作戦計画

一 確保任務(「イ」号作戦)

   第一次 既述の兵力を第五艦隊でサイパンに突入させる

   第二次 三日を経て陸軍の資材を送り込む

二 撃滅任務(「ワ」号作戦) 

   ニコ師団で七月上旬総攻撃

 

 

これは、「日米海軍の雌雄を決する『あ』号作戦決行の日」に、「わが機動艦隊の必勝を念じながら」立案されたもので、「ワ」と「イ」を併せて「Y」号作戦と称する。「イ」号作戦は、「あ」号作戦の成否にかかわらず実施することになっていた。

 

この日の長い上奏文には、上記の「既述の兵力」である部隊名が並んでいるが、結局作戦は中止されたので割愛する。唯一実施されたのは、現地に投入する部隊の兵団長として長勇少将および大本営参謀の晴氣誠少佐を先発させたが、硫黄島まで進出するにとどまった。

 

 

中央では6月20日、事態が暗転した。「あ」号作戦の結果が逐次判明し、機動部隊のマリアナ沖海戦における「敗勢は覆うべくもなく」、さらに「サイパンの地上戦闘も意外に悪化の一途をたどっているものと判断された」。陸海で負け。日清戦争の威海衛では陸海で勝ったのが決定打になった由。

 

サイパンの地上戦闘に関しては、18日にアスリート飛行場が攻略され、島南部は米軍が殆ど占領することとなり、日本軍の守備隊の主力は、島北部に新たな防衛戦を敷くという軍命令が出た。これを受け島上では、20日にかけて「転進」が始まっていた。

 

 

大本営陸軍部は自信を失い、「もし海軍に積極的意図があれば、『イ』号作戦だけは実施してもよいという消極的な意見に変って来た」。他方で海軍部は、甲案(海軍の残存勢力および陸軍機を総動員しサイパンを奪回する)および乙案(マリアナは極力持久、航空勢力を再建し、後図を策する)の両案を陸軍部に提示した。

 

これに関し、翌6月21日、当時軍需省航空兵器総局の総務部長だった大西滝次郎少将は意見書を出し、全航空部隊を結集して制空権を奪回した後、「上陸部隊を撃滅せよ」と主張した。のち大西少将はこのポストに在る間に、特別攻撃への傾斜に頭を悩ますことになる。

 

 

 

中澤佑軍令部長の業務日誌によると、海軍部は22日に沖縄へ帰投した連合艦隊に対して瀬戸内海への回航命令を下したが、「連合艦隊はもはやサイパン突入は困難と見ていた」。いまのサイパンは、マリアナ沖で戦った敵機動部隊が戻り、留守番部隊と合流しているのだ。23日までかけて検討した結果、乙案の持久方針に決まった。

 

六月二十四日陸海両総長は、中部太平洋方面の情勢に応ずる今後の作戦指導について上奏し、サイパン奪回企図の放棄のやむない事情について申し上げ、その結果翌二十五日、元帥会議を招集して意見を徴したが、特別な意見もなく両総長の内奏した奪回作戦の中止、後方要線戦備強化の企図を承認する旨決議奉答されたのであった。

 

 

この間、22日から関東軍はサイパン奪回のための部隊を抽出し始め、釜山地区に集結中であったが、これら部隊は、「比島、台湾、南西諸島、小笠原諸島など後方要線の防備強化に転用されることになった」。一転して守備固め。

 

小笠原諸島は、在サイパンの第三十一軍の指揮下にあったが、事態上、もはや軍の手が及ばない。マリアナが落ちれば、本土防衛の最前線になる。このため、6月25日、在硫黄島の小笠原兵団が強化された。大本営直轄となる。同兵団長は6月8日に硫黄島へ進出していた第百九師団長、栗林忠道中将が兼任した。本件詳細は後の回にて。

 

 

 

ここしばらく、戦史叢書を参照しながら書いた重苦しく堅苦しい記事が続いたので、次回と次々回は、別件の逸話を挟むことにした。なぜか近ごろ悪い夢をみることが増えた。このブログのせいかな。幸い戦場を知らないので、戦争とは無関係の支離滅裂な夢ばかり。

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

葛西臨海公園にて  (2024年7月3日撮影)

 

 

 

 

 

 

 

 

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